Cinema Review

バリゾーゴン

Also Known as:BARI-ZOGON

監督:渡邊 文樹
出演:渡邊 文樹佐々木 龍、惨劇にあった村の人々

とある福島の原子力発電所のある村、この平和で長閑な田舎に大事件が起こった。原発で働く村の青年が変死したのである。遺体は弁管の中ですでに腐乱状態で見つかる。恋人の家をのぞいている最中に転落死したと新聞で公表された。青年の両親はこの事実に対して疑問を持ち真実を知ろうとするが、国会議員や村長などなにかとキナクサい人物が陰でちらつく。果たして真相はいかに…

レビューを書くのは一年半ぶりなのに、このネタとは。とほほ。しかし、僕にはこの映画に関して記事を書かねばならない理由が、いや義務があるのだ。既に、味田くん安田さんのレビューでこの映画って何なのか評じているので、いまさら再度取り上げる意義もあまりないんだけど、なんと僕は直接、渡邊監督に一時間半に渡る単独ロングインタビューを敢行しているんです。こんなこのメディアむけの面白いネタ、僕個人で秘めているのはもったいないでしょう。とはいっても、久しぶりの記事がこの映画とは…。とほほ。

この映画の存在を知ったのは足かけ一年にも及ぶ長い旅の途中、味田君に電話した時だった。そのころ、彼は安田さんと長岡京へこれを観にいった直後で、「面白い映画がある」と結構興奮して言っていた。(詳しいあらましはここに書いてあります。)ただ、その頃僕は関西にいなかったので、旅芸人のようにあちこちに移動しながら巡業しているその団体に遭遇する機会はなかった。長岡京や淀などの関西でもローカルな地名ばかり指定してくるため、てっきり関西系のアングラ劇団の人達だろうと思っていて、たぶん観る機会はないだろうなと半分あきらめていた。その後、味田君からネットワークで「バリゾーゴン」が今どこでやっているか話題になっていると聞き、その情報によるとある時は山口にある時は関東にと、関西どころか日本全国、神出鬼没の様相を呈していた。が、僕も動き回っているわけであり、彼らも今どこにいてどこに向かっているか分からないので、遭遇しようもない。唯一彼らの存在が実在なんだと確認させられるのは、ばらまかれた大量のポスター類だったが、残念ながらいつもその街を去った後に僕がそれを発見するのだ。なにか片想いにも似たこの映画に対する思いは、忘れもしない三月のある日、途中寄った実家で偶然にも果たせるのである。

もうその頃にはすっかりこの映画の存在を忘れていたのだが、家の近くの電信柱に途中良く見かけたポスターをなにげに発見して驚いた。その日に僕の街の公民館で上演されるではないか。迷うことなくUターンし、僕の成人式の会場でもあったホールへ車を飛ばした。上演時間には十分間に合ったのである。

チケット売場には渡邊監督と思わしき怪しい長髪のおっさんがいたが、その時はまだ渡邊 文樹の姿形をしらないので、そのまま映画上映にはやや不向きな劇場型のホールへ向かった。(ちなみにここは中学校の時に友達に無理矢理つれてこられた、当時アイドルだった中山 美穂のコンサート会場だった。)

会場はやはり、ポスターに期待したのかヤンキー系がけっこういたが、それよりも目だったのが、真面目そうな高校生やインテリっぽいおっさんおばさんだった。ここら辺が、関西と北陸の片田舎との文化の違いだろう。私見だが、なにせ映画館が一館しかない街なので、こういった形の映画上映は結構ニーズがあったのではないかと思えた。(子供の頃良く観た、このように公民館で上映される映画は今から考えると当たりが多かった。だから、結構人が集まったのかもしれない。今度レビューにもその頃の映画ネタで書こうかなと思っています。)僕にとってこの事実は、結構興味深い。そういう意味では、この形の興行は想像よりは、うまみが多いような気がした。

もちろん、上映が始まってしまえば彼らは「葱をしょった鴨」でしかなく、せっかく膨らんでいためったにお目にかかれない映画に対する期待は、上演後に戸惑いと不満に変わっていたのが僕の目にもはっきりと見てとれた。可哀想にね。ただ、味田君から伝え聞いた関西の公民館での雰囲気とはまるで違い、暴動間際の怒りもみれなかったし、「バリゾーゴン」ならぬスクリーンに向かっての罵詈雑言は全くなかった。観客の層が良かったからだろうか?いや、単純に地域性の問題なのかもしれない。

ところで僕はといえば、最初っから会場の重い雰囲気を期待して観に来ている嫌な客だったので、ゲラゲラ笑っていた。たぶん、この回で楽しんでいたのは僕だけだったのは確信できる。

会場を出ると渡邊監督がまたチケット売場の辺りをうろうろして観に来てくれた観客に声をかけていた。もう僕は彼が監督だと確信できる。だってあれだけ長い時間スクリーンでむちゃくちゃなことをやっていれば馬鹿でも分かる。ここでやっと本題の超ロングインタビューが始まるのである。

主に
1:何故このような興行形態をとったのですか?
2:このような興行形態は実際のところ採算が合うのですか?
3:興行の為のあのポスターなんですか?企画時から狙っていたのですか?
4:この興行はどこから始まりどこへ向かっているのですか?
5:また、ルートはあらかじめ決めていたのですか?
6:この映画の反応は期待通りでしたか?
7:ドキュメントっぽく作りながら壊してしまうのはスタイルなんですか?
8:今後どのような作品を撮りたいですか?
と、けっこう失礼な質問をしていたのだが、渡邊監督はとても興味深そうに質問を聞いて答えてくれたのでした。田舎の興行の割にはやけにこの映画に詳しい質問が来たのが意外だったらしく、コンピュータネットワークでそんな情報を仕入れたのか?と何回も聞かれた。やっぱり、渡邊さんもこの映画がそこで騒がれていたのを知っていたみたいだ。僕は確かに情報をコンピュータネットワークで仕入れてたわけではなかったので、「違います」と答えるとうなっていた。

僕の記憶が間違いじゃないのなら、確か福島で興行旗上げしてから南へ下り、関西をくまなく周り切った後で、とりあえずこのまま南へ向かおうということになり、山口方面へ(この頃一番ネット上で騒がれていた頃だろう)その後北上して、最後に北陸路を選んだとのこと。僕の観た回は一週間かけて新潟から福井へ下っている途中だった。これがこの映画の最後の移動興行で、その後は、今記事を書いている現在は既にクランクアップされているだろう次回作を撮る準備に入ると言っていた。何故、北陸路を順に移動しているのかというと、この辺りは原子力発電所が多いからという理由かららしい。そういうポリシーで場所を選んでいるのだろうか?で、やっぱり地方の公民館を渡り歩く形態というのは営業的にもうまくいっていたようでした。

その三月当時、国際映画祭には香港とロッテルダムにだしたらしく、どっちかが審査を通ったと言っていたような気がします。確かに僕の見たバージョンはインターナショナルバージョン(英語字幕付き)で、先に観た味田君たちは字幕がなかったそうですから、国際映画祭に向けてテロップを追加したのでしょう。

これがまた、ときどき十六文キックぐらい豪快な訳になっていて、なんとなく記憶に残っているのでは、しゃべりでおばあちゃんがどこの政党とも明言してなくただ政治家と言っていたのを、英語字幕だとはっきりLDPと書いてあったのが一番笑えたですね。

監督はアクション活劇が好きなのだそうで。いずれは撮りたいと言っていましたが、どうも話を聞くと次回作も似たような指向っぽいです。その他も上記した内容を含め結構気さくに色々話してもらえましたが、多分プライベートに話してもらったと思うので、ここで書くのはこれぐらいで止めとこうかなと思います。プライベートメールだったらまぁよいと思うので、もし興味があったら(たぶんそんな人はいないと思うが)メールで続きを書くことにします。

結構こんなことを盛り上がって話しているうちに小一時間たってしまい、気に入られたのか次回の映画にでないかとスカウトされたのだが、さすがにそれは恐いので丁重に断った。でも、代わりに名刺を渡されて、「なにか気が向いた時にはここまで電話してきて。いつでも歓迎するから。」と言っていた。名刺を見るとちゃんと電話番号が書いてあった。僕に何かキナクサい事件の臭いでも感じたのだろうか?

というわけで、僕はたぶん日本でも数少ない渡邊 文樹の名刺を持つ男になってしまっただった。全く自慢にもならないけど。とほほ。

Report: Akira Maruyama (1997.11.13)


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