ある地方の村で若者が一人死体で発見された。泥酔の上の事故とされたが、監督はそこに潜む嘘を追及する。
困った映画である。困るとしか言いようが無い。
僕がこの作品を見ることになった経緯は、既に味田君がレビューに書いてくれているので省略するが、とにかく見に行った理由と結果から言えば「騙された」の一言である。これを味田君は「見世物小屋的」と呼んでいたが、正にその通りかもしれない。
まあしかし見たものが良ければそれなりに評価も出来るのだが、これがまた内容的には箸にも棒にも掛からない。まあ普段人に罵声を浴びせられたり怒号を耳にしない僕としては、作品中に飛び交うその手の音声にびびってしまうが、それを評価したらショック・ムービーと変わらない。
何より僕が困ってしまうのは、渡邊監督の真意についてである。それが本当なのか悪意に満ち満ちた作意なのか区別が付かない。少なくともどのような映画であれ、僕は作家に真実が無ければ作品として伝わるものは何も無いと思うのだが、ひいき目に見てもそれが感じられない。
彼には彼なりの真実があって、作品にそれが込められているのかも知れないが、それを窺がおうとする者は、その作意を疑って掛からないといけないと言うのだ。その虚構的な構造そのものを大事にしている風でもない。張り出されたあざといポスターは、僕らを虚構の穴へと突き落とすが、どうやらそれは単なる興行のための方便でしかなく、舞台装置として活きてくる訳でもない。破れかぶれと言うのが当たっているかも知れない。
味田君が買ったパンフレットを読んで渡邊監督のことを思い出した。以前『家庭教師』と言う映画の宣伝でテレビ出演していたのだ。番組は失念したが、一時話題になった。確か淫行か何かで(主演でもあった)当人が裁判になったと思う。僕はその映画が気にはなったが結局見なかった。そして『バリゾーゴン』がこの監督だと思いだしていたら見なかっただろう。
しかし見た価値はある。何故なら見ないとこうした話が出来ないからだ。しかし見る事そのものにしか価値は無いと僕には思える。
また僕が監督の名を忘れた頃に新作が掛かったりするのだろうか。それはそれで天晴れな事だが、しかし僕はもう忘れないだろう。