CBX400Fの事

その単車は雪の降る夜にバイク屋の車に積まれてやってきた。そいつはそれから9年間走り続けることになったが、その時はまさかそんなに長く乗るとは考えもしなかった。僕が17歳になる直前の冬だった。

当時は空前のバイクブームが始まった頃で、国内各メーカーは競って高性能バイクを発表していた。そんな中で、ホンダが出したスーパー・スポーツバイクが CBX400F だ。当時非常に人気があり、また良く売れた。

僕の家にやってきたCBXは、CB900Fに採用されたような大きなカウルが付いたINTEGRAというモデルだ。ホンダ社内ではCBX400F2と呼ばれている。当時CBXと言えば赤と白のカラーが余りに多かったので逆にマイナーな青と白を基調にした色を兄貴は選んだ。結果としてこれは大正解で、青/白のINTEGRAは滅多に見ることがなく、どこでも良く目立った。

このCBXは兄貴が乗り回し、兄貴の友人達と京都の山を走り回るようになった。しかし兄貴はCBXには1年と少しだけ乗り、その後CBR400F ENDURANCEに乗り換えてしまった。友人のVF400Fに馬力で負けてしまうのだそうだ。その後CBXは専ら僕が乗ることになった。僕が18歳の夏のことで、中型免許を取ったばかりの時だった。兄貴からタダで貰えることになった訳だが、何でも持ち物を雑に扱っては壊してしまう僕のことを心配して「綺麗に乗ること」という条件が付けられた。すでにオドメータは12000Kmになっていたが、エンジンはレッドゾーンまでストレスなく回った。高回転時のこれぞインライン・フォーと言う音も健在だった。ただ3000rpmあたりでの独特の音(これは聞いたことのある人にしか判らない!)はもう出なくなっていた。

それから僕はこのバイクに26歳の夏まで乗り続ける事になった。初めての中型バイクだったこともあって、暫くはゆっくり乗っていたものだ。しかし次第にペースを上げ、周山街道から海へ抜ける国道を早朝飛ばすことに熱中するようになった。友人と一緒に海まで行って朽木を回って帰ってくる190Kmを160分位で走り抜けたこともあった。ただ走っては帰ってくるだけの僕に両親は呆れたが、6時頃に通過すると必ずこっちを見つめていてくれるキツネが居たりして、色々な事を含めて僕は早朝走るのを結構楽しんだ。今は道路が整備されて見なくなったが、あのキツネはどうしているだろう。

友人が次々とバイクを乗り換える中で、僕は車体の限界に達していないうちは乗り換えないと決めてCBXに乗り続けた。勿論年がら年中(と言っても冬は乗らないのだが)飛ばし続けているから、いろんな所が痛んで良く交換した。ドライブチェーンの様な消耗品は言うに及ばず、ステアリングベアリング、少し振れが出たフロントホイールも交換した。極め付けはカムチェーンで、これは兄貴が減速中にローギヤに入れて振り切り寸前まで回す(しかも振り切ったら半クラッチを握る!)という乗り方をしていたため駄目になったものだ。プロリンクの軸受はすぐ焼き付くので毎車検ごとに交換した。バルブ間隙もほぼ毎車検ごとに調整したが、これをするといつでも良い音に戻って、その度に改めて感動したものだ。

さすがに8年間も乗っていると、色々なことがあった。非常に大きなカウルが付いていて、高速巡行が得意な構成だったこともあって、出不精な僕もあちこちへツーリングに行った。だいたい毎夏に一度、2泊から5泊ぐらいで涼しいところへ出かけた。初めて友人と一緒に行ったツーリングは今でも良く覚えている。初めてだったので無理はせず、名古屋から黒部を回って糸魚川から出てくると言う高速道路の旅だ。初日に泊まったキャンプ場は、オフシーズンだったこともあって余り人が居なかった。(その代わりに牛がいっぱい居た!)日本一周している脱サラのバイク乗りと、自転車ツーリストが居ただけだったが、皆で集まって晩飯を食った。夜、雨になって嫌な思いをしたが、翌日一日ずっと雨だったのにはもっと閉口した。

CBXでの最後のツーリングになったのは、一人で日光まで行ったときのことだ。これが実は最長不倒距離なのだが、無謀にも僕は日光まで最初の一日で行くことにしたのだ。朝6時頃に京都を出て朝食を浜松、昼過ぎに横浜、そこからえらく手間取って東京都内を抜け、宇都宮に着いたのが夕方だった。飛ばしに飛ばして日が暮れる直前に日光に着き、民宿に転がり込んだ。東京都内で数時間迷ったのを含めて、およそ850Kmを14時間で走ったのだから、今にして思えば無茶をしたものだ。翌日、日光観光をして再び横浜に戻って友人宅で一泊。それから数日を費やして箱根、富士、河口湖、諏訪、飛騨、高山と周って最後に名古屋の友人宅へ泊まって帰った。総計千数百キロを数日で回った単独ツーリングだったが、途中一人で走ったのは僅かで、大抵誰か同じ様なバイクツーリングの人と一緒に走っていた。白糸の瀧から諏訪湖まで一緒だった堺の二人連れなどは結構面白かった。その途中、甲府で会ったブドウをくれたおっさんの方言がひどく、話しかけてくれた日本語(!)が一言も理解できないまま見送った後、堺の人と大笑いしたのは忘れない。

26歳になった僕は新しいスポーツバイクを手に入れた。CBXをこのまま乗り続けたらきっと壊してしまうと考えたのだ。我ながらCBXの限界まで良く使い切っていたと思う。少し気を入れて飛ばしたあとはエンジンがキンキンきしみ、タイヤはもう端まで使い切っていた。サーキットを走るレーサーでもない限り、スポーツバイクは信頼だけで走らせるものだ。車体の限界まで来たと感じ始めたら、もう後は怖いだけとなってしまう。僕はもうCBXは信頼できないバイクになってしまったと思い始めてしまった。新しいバイクの慣らしをしていると、今まで何故CBXで走り続けられたのか不思議なくらいの性能の差に驚く。

CBXは今では何故か「ちょっと前の名車」と言う感じの妙な人気があり、プレミアまで付いているので売れば幾らかにはなっただろう。新車の価格が非常に高いこともあって少し迷った。しかし結局、僕は8年間乗り続けたCBXを手放さずに納屋に片付けてしまった。この次何年先にCBXを引っ張り出して乗るのかは判らないけれど、僕はその日が必ず来ると感じている。重くて、大きくて、扱いにくい癖に大したこと無い性能の、このバイクに結構愛着があるのだ。今でもあの独特の排気音を聞くと思わず振り返ってしまう。またあの音を聞けるようになるのはいつのことだろう。僕とCBXの長い付き合いはまだ終らない。

'92.6 Yasu.


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