群れをなすコンピュータ

ノイマンはビル一棟ほどの大きさのコンピュータが現れるだろうと予測したそうだが、現実はそうならなかった。いまは電気という有限速度でしか伝達しないものに依存した同期回路の限界がそれを抑制した格好になっている。われわれがもっとゆっくり思考する存在であれば、または電気がもっと高速に伝わるものなら、ビル一棟ほどのコンピュータは許されたかもしれないが、残念ながらわれわれの住む世界はそういうバランスではなかった。

たった一つのプロセッサを高速化し、そこから間に合う時間に電気が届く範囲の回路ですべての仕事を収めるのは不可能だ。

処理能力向上のために並列処理に進むことは当然だが、問題を分割するときに同期をどのように取らなければならないのか、ということをまっすぐ預けられないようなシステムでそれを扱うのはもともと難しい。現在良くやられている同期回路的アプローチのシステムを疎に結合したクラスタでは同期はオーバヘッドとなるしかない。KL-1はひとつの良い答だと思ったが、世の中には受け入れられなかった。データフローもまた伸びなかった。

ある種の生物は群体として機能している。典型的には一部の微生物だが、それに限らず、ひとつひとつが完全に単独の生物でありながら全体としてひとつになって生きる生物もいる。植物は多くの場合密に絡んで生活しており、ある種の群体に近い場合もある。コンピュータはいつになったら群体として機能できるようになるだろう。

今は一人にひとつのプロセッサが与えられるようになり、人間が個としてのプロセッサそれぞれを意識して生活するようになった。もっとプロセッサが多く存在する世界では、人間は個々のプロセッサを意識できない。利用者の許可を個別に得ずに、プロセッサ間で自律協調して仕事を進めていかなければ。自分のプロセッサも、人のプロセッサも、その境界を意識できなくなる。自分のプロセッサと、公共のプロセッサを、意識できなくなる。そのインタラクションだけを意識するようになる。私は、日常生活の中ではそれほど自分と周囲の人たちを強く個として意識していない。全体としての社会のなかでのインタラクションだけに注目しているように思う。群体としての私のコンピュータと、群体としての周囲の誰かのコンピュータが、全体として機能するようになるべきだ。

サザーランドらは非同期回路で動作するコンピュータシステムを提案している。ノイマンが想像したビル一棟のコンピュータができる可能性はある。波打つように信号と仕事が伝播し、処理されるシステムを私は待っている。

フロンティアはまだ計算機の分野にもある。今世紀が生命科学の100年になることは間違いないが、それにしてもフロンティアはまだ計算機の分野に多く残されている。1984年からの4年間に学生だった私がそうだったように、ブレイクスルーの感じられる時間を今の学生たちに過ごさせてやりたいと思う。

'2000 (or around) Yasu.


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