僕の燃料

知人に大学で教員やってる(学生の相手をしている)動機(燃料)は何かと聞かれて答えられず、むーんと詰まってしまった。
いつかの自分のために備忘も兼ねて残しておく。

最初に働き出した時は当たり前だけれど意味は無かった。働かなきゃならんかったし、そういうのに意味づけせんならんような時代じゃ無かった。(いまの学生さんは不幸だと思う)
なお本当に働きたかった。カネが必要だった。家を出たかったから。

で、それからとにかく自分の能力(技術力、かな?必要な技術的対応能力)が上がることだけをゴールに働いた。よう働いたと思う。
(もちろんインハウスのエンジニアなので会社とユーザ(つまり教職員と学生)のために働くんだけれど、その一方で自分の能力をただただ上げたかった。)

で、8年働いて、転職した。いい加減ここで働き続けるのが嫌になったのもあるし(職場の人たちの姿勢他にめげたとかいろいろ)、何か良く分からないけど転職するんだと最初から決めてたところもある。今となっては良く分からない。

で、たまたま縁があってある国立大に行った。仕事の内容は余り変わらないのだけれど、僕はこのとき勤め先となった研究所を(古い体制から)コンピュータとネットワークで仕事をするように変えようと思って転職した。 ちがうな、研究所をコンピュータとネットワークに載せるんだ、と決めてかかって働き出した。

(それまでほんっとにここの研究所の人たちはコンピュータ利用とかインターネット利用から離れて仕事をしてた。事務も、研究者も。社会科学系の研究所とはいえ、さすがに世間から遅れた状態にあったので、それを短時間で追いつく、というか他の研究者の環境よりは進んだ状態にしようと思ったんだな。勝手に。まあそう望まれて転職したのだけれど、自分もそうしようと思ってた。)

で、エイヤと四年ほど掛けておよそそのように出来て、それで後任を捜して、一年一緒に働いて、また転職した。。。
このときも、ずっと公務員をやりたくないとか、変な感情はあったのだけれど(僕が公務員に向いているわけがない)、まあとにかく。
他の大学を捜すつもりだったが、偶然元の職場で縁があって教養部採用になった。このときは一年前から非常勤で今もやっている演習授業を担当していたので、当時この大学の中で何が足りないか、とかいったことがある程度見えてた。

で、今度は教育環境にコンピュータとネットワークを入れるんだ、と思って働くことにした。
(さすがに教育全体をインターネットに載せる、という気は無かった。余りに教育に使われていなかったので、そこを入れようと決めた。)

(ちなみに教職員および学生の、教育以外のところ、つまり教員の研究、事務の仕事、学生の日常生活にインターネットを導入する、ということは前にここで働いたときに僕自身が実現していたので、それをやる必要は無かった。1996年当時、この大学のそのあたりのインターネットへの踏み込みは国内でも相応に進んだ方だったはず。(という自負がある))

で、クラスごとに課題を出して、回収するための web アプリケーションを設計して、開発(外注と一緒にやった)して、運用(情報センターと一緒にやった)した。当時はこういう教育支援システムを自力開発する事例が幾らかあった。
五年ほど運用して、教員の 20% くらいが、学生の半分くらいが使うようになった。(一万人規模の大学で組織的な必修授業への適用などなしに、教員の自主利用だけで学生の半分ほどが使うところまで行くというのは結構なものだと思うがどうか。)

で、世間的に Moodle が普及してきたので、そちらに乗り換えて今に至ってる。乗り換えた時点で僕は自分が作ったシステムは閉じてしまった。
僕はこれを教養部の立場で共通教育を軸足において、大学を変える、と思ってやってきた。けど、組織変更で教養部は無くなり、委員会制になって、僕は学部所属になった。

で、僕はもう大学全体に対して何かするのをやめて、学部のことをやることにした。学部の学生を相手に専門教育、ゼミに集中することにした。
ここで多分僕の仕事に対するモチベーションは大きく変わったんだと思う。
コンピュータとインターネットを使って組織や何かを変えるんだ、と思って自分を突っ込んできたのに、このとき僕はもっと小さな、閉じた世界に突っ込むようになってしまったんだと思う。

そのせいで何のために働くか、といったことが希薄になってしまったんだろうなあ。目の前にある細かなことばかりになってしまって「これ」というものが無くなってしまったんだ。



Yutaka Yasuda

2014.06.27