山の花

毎年春になると桜が咲く。高槻という大阪の北の街から京都に引っ越してみると、ずいぶんと桜が目につく。

生まれ育った、つまり僕の知っている京都は京都市街地の北の端ともいうところで、むしろ街区からはなれて田畑地帯と言っても良いようなところだ。送り火が御所からきれいに見えるように(本当かどうか知らないが僕の周囲ではもっぱらそう言った)、建物の高さが規制されて空が広い。東を見ると叡山、北は鷹峰と、周囲にはいつも山が見える。そこが産まれて育った風景だからなのかも知れないが、そうした風景は妙に僕を落ち着かせる。

春、近くに見える山々のところどころが、ぽつりと白くなる。自生の桜が咲いているのだ。山の桜は(それこそヤマザクラという種名を付けられているが)里の桜より一歩先に花を付け始める。赤い葉と白い花が同時に出るため、山に出る白いぽつりは、普通の桜の色より少し茶色っぽい。里の桜(多くは染井吉野)はこれでもかとばかりに咲くので僕は「コレデモカザクラ」と呼ぶ。どちらかというとこの山桜が僕は好みだ。

ほぼ同時に山ではツツジが咲く。どこの地域の山でも咲くものかどうかは知らないが、少なくとも僕が育った地域の山には普通に自生している。ヤマツツジと勝手にそう呼んでいるが正式な品種名は知らない。僕の花や魚などの呼び名は、子供のころに父親を含めた周囲のおとながそう呼んでいただけの名前で、だからいわゆる俗称である場合が多い。

このツツジは淡い紫で、比較的群生するために遠目にも結構目立つ。山の植物の常で群生と言ってもそれほど密生はせず適度に空いてはいるが。いずれにしてもこのツツジは 5 月になってもずっと咲いていて、僕はむしろこの花を見てああ春だなあと思う。

もう少しすると今度は山の奥、川べりで藤が花をつける。ツツジ同様、品種改良されたものより花の色が淡く、量も少なめだが、まだあまり葉の多くない川の風景のなかできれいに映える。藤は山ではかなり多く自生している植物なのだが、花の季節でなければよほど注意して見ない限りそれと気づかない。絡み付いている元の木の方が葉を多くつけて隠してしまうせいでもある。春になると、ああ、こんなに藤があったんだ、と毎年のように驚くわけだ。

そして5月もおわり頃、花の季節も終ったかという頃に、毎年広河原の奥に満開の桜を見にいくという楽しみもあるのだが、まあそれはおいて。

とにかく。京都にまた戻ってきて、ただ街を歩くだけでも京都というのは非常に景色が良いところだと思った。良い表現が思いつかないが、おそらく scenic などという言い方が合っているだろうか。街のなかに普通に桜が多い。街路や、普通の家の庭に立派な桜が植えてあり、それがおもてに花びらを散らしている。その他の花も多い。

いま、新幹線で京都から東に向かっているが、通り過ぎるいくつもの街の風景と較べても、やはり京都は花の多いところだと思う。

そろそろ引っ越し騒ぎも落ち着いてきた。少し山の花を見て歩きたいと思う。

2002.4


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