投資分配の変化、集中から自己分散へ

大規模システムの構築に必要な投資は、いまやシステム提供者(プロバイダ)とユーザの両方で行なわれている。このモデルはいつまで続くのだろう?

『メディアがビットをタダにするか』で僕は、ビット提供者(プロバイダ)の投資が設備の能力に依存しており、それがゼロにならないだろう、という予測を示した。投資がゼロにならない限り、それは誰かが支払わなければならない。次に支払いの分担が、コンテンツ提供会社、経路調達業者などそれぞれに必要な経費からくる応分負担になるとは限らないことを、ケーブルテレビ業界などの市場状況を例に引いて示した。
『bit従量課金』でも僕は、広告で費用をまかなうからネットはタダになる、付加的商品販売でペイするからネット端末(PC)もタダになると言った人もいたが実現しなかったことを指摘した。テレビも電話も自動車も僕にタダでくれるひとは今のところ現れそうにない。

(関西じゃ携帯電話が 0 円で売られてるよ、というのは「現像料タダのDPE屋さん」と同じで、上の話とは意味が違う。)

それでもいまどきのシステム構築における投資費用の分担構造が変わっていることは確かだ。いつまで続くかわからないが、これはかなり重要な話だ。

今時のシステムのうちの多くは Web などを利用して、クライアントに PC を利用するものが多い。
PC は今や国内だけでも年間 1000 万台と、テレビと同じくらいの台数が売れる「家電」商品である。製品の実用寿命の短さの点で、ここから普及率や利用率をテレビと同列に語るのは誤りだろうが、まあとにかくそれでも堂々たる大量販売商品であることには違いない。
クライアント・サーバシステムにおいては、クライアントのシステム価格も当然システム全体の費用に含めるべきだが、実際にはこの PC クライアント費用はユーザ自身が負担している。サーバとクライアントを結ぶ通信回線費用も当然ながらシステムコストの一部であるが、その多くはやはりユーザ自身が負担している。しかも面白いことに、この「双子の費用負担」を、ユーザは喜んでかぶるのである。

たとえば世界でも初めてと言って良い大規模オンラインシステムである国鉄の座席予約システム「みどりの窓口」を例に挙げよう。その実施当時、各駅に設置する専用端末の開発・製造・設置のすべてについて国鉄はその費用を負担した。状況が少し異なるにせよ、端末回線にしても似たようなものである。当時はそうせざるを得なかった。世の中に無いものばかりでシステムを構築せざるを得なかったのである。

ところが 1995 年ごろから世界は一変し、ユーザの手元にはもう端末も回線もある。Web というアプリケーションインタフェイスまで用意されている。システム提供者は、クライアント・サーバシステムで実現するはずのそのシステム全体のうち、サーバ側だけを提供すれば良いのである。クライアント側については、その開発・製造は頼みもしないのにメーカーが行なうし、導入・設置・保守に至っては頼みもしないのにユーザが自己責任で行なうと言うのである。

これを大きな変化と言わずしてなんとする。

たとえば組織レベルの視野で考えた場合、企業の情報システムの構成要素のクライアント側を構成員が用意している、と考えることができる。社員のノートパソコンは企業が購入すべきだと考える人もいるかも知れないが、組織と構成員の結び付きはそうした「完全お抱え」的なものばかりではない。
たとえば大学が用意する教育のための情報システムのクライアント側は、大学内においては大学が揃えているが、学生の自宅設備は学生自身が準備している。それを「学生の勝手にて大学に関係なし」として無視し、学内設備だけで教育システムを設計・運用するのと、学生自身の投資を活かす方向で考えるのと、どちらが全体的な投資を効率良く目的のために利用できているだろう?
たとえば保険会社とその代理店などの関係もこれに似る。従来的には代理店システムは保険会社が回線から端末まで用意し、導入、設置、利用教育まで施してきた。いまどきなぜそんな高コスト構造なシステム構成をしているのだろう?どうして代理店の店内にかならずあるだろう PC と Web ブラウザを利用しないだろう?保険会社と代理店が従来的関係からなかなか業態変換できないのだとしても、どうして保険会社は最終の顧客が自宅に持ているはずの PC と Web ブラウザを利用しないのだろう?
航空会社やホテルと旅行代理店、旅行客の関係はまさにそうした構造へと大きく変動しつつある。今後 H.I.S. はいったいどこに利益の源泉を求めるのだろう?

世の多くのサービスシステムのサーバとクライアントの関係は、Web やインターネットといったアイディアによって大きく変化している。複数のサービス提供者でクライアントを共有しているのである。こうなるとクライアント設備の構築費用は、いわば国民の投資でまかなっていると言わざるを得なくなってくる。
これはもはや個人の投資の問題ではなく、むしろ社会的な投資の問題である。先に述べた組織レベルでの視野では収まらず、国レベルでモデルを考える必要がある。国は、国民にシステム全体の投資の一部負担をさせなくてはならない。そうして行なわれた投資を有効に活かせる政策が必要である。
インターネットや Web という標準に国境は無い。そのため、この視点はすぐに国レベルではなく、世界レベル、地球レベルに拡げて考えることになる。たとえば Ethernet という標準を、IP という標準を変えるということが、地球的に見てどういう結果をもたらすか考える必要がある。それらは既出投資の保護を優先するべきなのか、それとも将来への投資として優先するべきなのか。



Yutaka Yasuda

2002.09.01