全ての機器をネットに

全ての家電機器がネットに接続される日は近い。そのとき、あなたの生活はどのようになるだろうか。今の生活には何が欠けているのだろう。
Keywords: [ Jini, FireWire ]

テレビやビデオ、ステレオの裏の配線はスパゲティのようになりがちだ。機器が5つもあればもう家電製品としてのスマートさに著しく欠けていると言わざるを得ない状況になることが珍しくない。今どきのPC/ATなどは一人スパゲティ状態だったりするが、家電機器がこれと同じというのは非現実的ですらある。

近い将来にすべての家電機器がデジタルネットワークで接続されることはほぼ自明だろう。そうすることでテレビもビデオもステレオも、もちろんコンピュータも、すべてはただネットに接続するだけで済んでしまうからだ。これを実現するものとして、現時点での最右翼とみなされているのはFireWire(IEEE1394)だろうか。

そして僕は、このネットワーク接続はコンピュータや AV 機器だけではなく、電話から蛍光灯まですべての家電機器に及ぶと考えている。それほど飛躍してはいないと思うのだが。

たとえば自分のまわりに一体いくつの時計があるか数えてみると良い。ビデオにステレオ、留守番電話、テレビ。すべてこれらの機器は時計と通信する必要があるのだ。
近い将来目覚し時計は時計の機能を持たず、あなたの目を覚ます機能だけを持つようになるだろう。現在手に入る普通の目覚し時計は、それに加えて時刻を表示する機能と、ある時刻に目覚しを起動するというプログラム機能をもっている。このために目覚しは時計を内蔵しているが、すると今度は時刻を設定すると言う機能とユーザインタフェイスを余分に持たなくてはならない。
時刻を保持するのはネット上の時計が行なえばよい。目覚しを起動するプログラムを設定するには、数個のボタンなどではなく、しっかりしたユーザインタフェイスを持った制御卓(コンソール)がよい。現在の目覚し自体に時刻表示の機能と目覚し時刻設定ができるように直接的なインタフェイスが付いていて、ダイレクトマニピュレーションが可能な事は否定しないが、それだけでは祝日を含めたスケジュールをプログラムできない。忘れっぽいあなたは目覚しを仕掛け忘れて寝坊するかもしれない。祝日に早起きしてしまうかもしれない。

(このあたり自分がニコラス・ネグロポンテの『Being Digital』とどの程度同じ事を言っているのかよく分からない。何しろ初めて読んだ時、余りにも同じ事を考え続けていることが分かって衝撃を受けたほどだから。)

これらのコンソールは物理的存在でなくても良いという点も重要だ。さまざまな操作機器の前に適切な形であらわれるソフトウェア的存在でも良いのだ。Javaはもともとそうした機器に埋め込まれるプログラムとして開発された。今は余り注目されないが、このシステム・モデルは将来必ず再び舞台に登場するだろう。そして人々は多くの機器を簡単なプログラムを書いて制御するようになる。ただしJavaのようなスタイルではない。MindstormというLEGO社のおもちゃはプログラミング環境をかなり簡易な表現で実現している。今でも Gcode 無しで行なうビデオの録画予約はある意味プログラミングに近い。HTMLの記述もプログラミングにかなり近い。再び『プログラミングの時代』がやってくるのだ。
こうした状況で、人々は多くの家電機器をプログラムするようになる。この電灯を付けたらこちらは消しなさい、という具合に。蛍光灯すらネットする理由がわかってもらえただろうか。

ところで多くの人はネットワークコンセントを機器や家屋に追加できない、接続が面倒だという理由ですべての家電機器をネットするという構想に反対するかも知れない。例えば留守番電話は電話線以外に電源線でもすでにつながれている、これ以上線を差すのはまっぴらだ、というわけだ。また、そんなに多くの機器をいちいち接続して回れるわけがない、という話もある。
この話はもっともだが、肝心な事を忘れている。つまりすでに多くの機器が電源線で結ばれているのだ。つまり電源線とネットワークの線をまとめて一本にしてしまい、電源コネクタを新たなネットワーク用接点を持つ(例えば交流電源2極とアース、これに通信線2極を合わせた5極の)コネクタに置き換えるのだ。
(僕は電源線上にネットワーク信号を流そうと言う試みには否定的だ。明日便利になるかも知れないが、近いうちに邪魔もの扱いされるだろう。)

すべての家庭のすべてのコンセントを変えるのは不可能だと言う人がいるかも知れないが、僕はそれが重要なことだとは思っていない。電話線の接続口がローゼットからモジュラーにほぼ置き換わるのに何年かかったか?重要なのは新しい電話機を購入するような人達の多くの自宅にモジュラージャックが存在する率であって、新たに電話機を購入しそうにない世帯までがいつ置換し終るかではない。(コネクタじゃなくて屋内配線が問題なのだという人もいるかもしれないが、そう違わないと思う。)
アナログレコードが非常な短期間でCDに置き換わったように、現代ではそれが良いものでありさえすれば、新しい何かが普及するのにそうたいした時間はかからない。

つまり将来の家電機器は家庭内のコンセントにPlug Inしたと同時にネットワークに接続され、他の周辺の家電機器と通信を開始する。あるものは時計をみつけ、あるものはディスプレイとスピーカーを捜すだろう。互いの機能に関する情報を交換し、最適な配置を自動的に構成してくれるのだ。あるいはユーザが「衛星テレビ11chのこの番組を録画予約できるか」と機械に問えるようになるだろう。
この世界では、時計のように情報だけを提供するものは物理的存在として家庭内になくても良い事がわかるだろう。VOD(Video On Demand) のように、Time On Demandサーバがありさえすれば良い。時計は時刻を提供する一つの番組となったのだ。

多様な家電機器を接続するネットワークを、一つの便利なシステムとして利用者に提供するには、各機器の情報を管理する有能な秘書が必要だ。そのためのデータベースの姿の一端をJiniは見せてくれている。しかし僕が聞いた範囲ではJiniは能力が低く、僕が望むことまでは出来そうにない。
Jiniではデータは個性や知性のない、規格化された、固定された情報として扱われる。僕はより複雑な問い合わせの答を On Demand に出せるように、このデータベースのデータには手続きが書ける必要があると考えている。つまりOODB(オブジェクト指向データベース)的なものでなければ。
インタフェイスが汎用のネットに統一されても、機器の扱いは抽象度が上がっただけに、より繁雑なものになる可能性がある。秘書と十分な会話を交わせる能力が機器の機能の代弁者たるデータに持たせられないため、秘書がそのマネージメント能力を発揮できないからだ。

すべての家電機器がネットに接続される、という事は人々が常に生活レベルでネットに接続されるということと同義だ。単に機器が接続された、というだけではない新しい生活がそこに生まれる事は明らかだ。この話の結論は、その新しい日常生活がどのようなものなのか、というところにある。



Yutaka Yasuda

1999.04.01