互いに言い出せないまま 17 歳で突然に離れ離れになった二人が、その17年後に再会する。
撮影時の彼女は 18,9 歳くらいではないかと思う。そう、宮崎あおいを見るために借りてきた。童顔で(さすがに『EUREKA』の頃はともかく)幼く見えるためか、この頃から徐々に実年齢より下の役が多くなっているように思う。
本作は極端に静かな作りになっている。音がしないだけでなく、台詞もほとんどない。そしてほとんど何ごとも起こらない。非常に僅かなことが、非常に少しずつ起きる。
こういう映画は良い。
良いかどうかは人によるだろうけれど、そういう映画があると言うことそのものが良い。
映画は芸術であるとともに娯楽でもある。音楽だってそうだが、より資本の集中が必要なぶんだけ、より娯楽色が強くなるのは必然だ。
これは音楽の話だけれど、最近の POPS などは音がぎゅうぎゅうに詰め込まれていると何かで読んだ。どんな表現だったかは覚えていないが、例えば波形で見ると、ダイナミックレンジぎりぎりまで常時何かの波で詰まっている、そんな話だ。そこでは 10 年ごとくらいの典型的な波形が幾つか並べてあったように覚えているが、年と共に充填密度が高まっていく。そしてそれはアレンジというか、主たる音を入れた後でいろんな音を重ねていく過程の影響が大きいのだという。もちろんこれは娯楽性の高い流行歌での話だ。そんな印象はないだろうか。
映画もそうで、娯楽色が強いものは年と共に絵や音、ストーリーの充填密度が高くなっていくように思う。けれど充填密度の高い楽曲ばかり聴いていると耳が疲れてくる。そうでないものも聴きたくなる。
そういう詰め込まれていない映画があるのは良いことだと思う。そして語られないことが多い映画は、やはり邦画が良い。伏せても感じられる、共通のバックグラウンドとともに作品を味わえるからだと思う。