天空から下がる糸で命がつながれている人形たちの生、死、愛、争い、嘘、信頼を描く。
独創的なだけでなく、深く作り込まれた世界観と、余りに美しい映像・工芸・動きにかなり圧倒される。
(白状すると僕ははじめ彼らが雨に打たれながら眠っている事の意味に気づかなかった!)
日本語版は庵野秀明と長塚圭史(脚色)が別にクレジットされるくらいなので、元々の作品がどんなものだったのか(そこからどのくらい変更されたものなのか)が気になるけれども。
それでもそうした上塗りを乗り越えて、元の地が大変にしっかりと厚いものだった、ということは判る。
この作品を見たのは相変わらず予告の映像にひっかかったからだ。すごく美しかった。筋書きはある種、童話チックなところもあり、類型的なところもありだけれど、そうしたものと裏切りや嘘、社会的な不条理などが混沌としたままに語られるのはなかなかによろしい。宮崎駿が『風の谷のナウシカ』で「失政は政治の本質だ」と喝破しているが、それらと同様の叫びか。矛盾は世界の本質なのだ、と。
ジータの葬儀に際して、「彼女は自由を手に入れたのよ」と言う。
作品世界では人々は天から降りる糸に体を結ばれ、それによって自由に動くことができない。
だから街の出入り口である狭い峡谷に作られた「門」は「板(面)」ではなく横に渡された「梁」一本で良い。
梁が上がるとその内と外とに分かれた二人は、手はつなぐことができてもそこで分かれるより他なくなってしまう。
ジータは命の糸が切れ、彼女はもうどこへでも望むところへ行けるようになった。
しかしそこには命がない。
命がある限り、すべての者はこの世界に縛り付けられ、命を失うまでそこから解き放たれることはない。
それは僕らも同じことだ。死者に対してすべての制約から解放されたといった表現をする文化は少なくないはずだ。
僕らの世界にある当たり前で解決不能でむしろ不可欠ですらあるその矛盾が、作品世界では目に見える形で、しかも実に美しく描かれている。矛盾は美しくなければならない。
とにかく類似品が(少なくとも僕の主観では)見つからないので、何と比較してどうこう(良かったとも詰まらなかったとも)言うことができない。だから見るしかない。そう思って劇場に行ったし、実際にそう思うことができた、最近では珍しい作品となった。
『ゆきゆきて、神軍』や渡邊文樹などもそうなのだが、それらと異なり、真っ当に人に勧められるしね。