Comic Review

プラネテス

作者:幸村 誠

ハチマキはデブリ=宇宙のゴミを回収する仕事について数年。いつか自分の船を買って宇宙を自由に飛び回ろうと夢見ている。人類初の木星往還船クルーに応募する。

どれだけの人がこの作品に共感できるのだろう。僕はこれを知人のF氏(オッサン)からこれは良いよと勧められて読んだ。入れ込んで読んだ。傑作と思う。だが一体どれだけの人がこの作品に共感できるのだろう。一般に評価が高いようなので、どうやらかなり一般的なテーマらしい。本当にそうなのか。だとしたら僕は認識を改めなければならないようだ。。。

主人公ハチマキはしゃにむに宇宙を目指す。何かの衝動がただひたすらに遠くに、高くに、未踏の宇宙へと彼を突き動かす。何もかも捨ててただ前に進む。絶対の宇宙に挑み、その地平を拓くには自分たち宇宙船員の力が必要なんだ、自分がやるしかないんだ、ブラウンだって、ゴダードだって、そうやってきたんだ。

彼は自身の内なる欲望にただひたすら耳を傾け、その衝動の命ずるままに進む。ビビってやめてハンパ野郎になり下がるくらいなら死んだ方がマシだ。他の奴らと足並み揃えて何ができる。仲良しこよしは自分の人生を生きる度胸の無い奴の言いぐさだ。最前線に立つ人間だけが未来を作ってきたんだ。今日があるのも俺たち宇宙船員が命がけで限界を超えてみせてるからだろう?

そうやって歯を食いしばって彼は自分の限界や人間の限界と闘ってきた。そうやって一歩一歩、高みに近づいてきた。

これはエゴだ。つまりハチマキは極めて自己中心的なのだ。またそう強調して描かれる。物語のなかではこうしたエゴが世界を動かす動力源の一つなのだと繰り返し語られる。傲慢ぶりを隠そうとしないマッド・サイエンティストを指して「ああいう悪魔みたいな男は良い仕事をする」と言う。(このセリフはハチマキの親父さんだが。)

僕はこうしたハチマキの思考や行動に強く共感する。何年もの間、そんな風に考えて仕事をしていたからだ。いや、正直に書いておく方が良いかな。今でもこの傾向は多分にある。そんな仕事でどうする。そんな奴らに合わせて何ができる。つべこべ文句を言うだけの奴らは放っておいて結果を出して黙らせるのが良い。代替不可能な人間になるんだ。誰にもできない仕事をしろ。何だそれは妥協か?孤立するのが怖いか?もともと能力のない自分が、そんな事のつじつままで合わせて何かできると思ってんのか?

僕は世間的にはかなりおかしな人間だと思う。欠陥。ダメ。アホ。
これで悪魔のような仕事をするほど能力があればいいんだろうけど勿論そんなこともなく。免罪符は持ってないという。

まあ僕のことは置いといて。

僕は僕と同じような感覚で何かをしているひとが世間の多数派だと思ったことはない。ある程度そのようなベクトルを感じるひとは居るのかも知れないが、実際そのようにしている、つまりそのように動いていると感じるひとは少ない。

この事と、この作品の評価が一般に高いらしいということが僕の中で一致しない。

恐らく一般的にはハチマキは単に前向きだが周囲が見えていない自己中だとしか映らないのではないか?突っ張るくせに不眠に悩まされ、それでも「不安も、孤独も、後悔も全部自分のモノだ」と歯ぎしりしながら言うハチマキに果たしてどう感情移入できるんだろう?ただの変人じゃないか。(もちろん僕はこのくだりに衝撃を感じるほど共感したけれど)
多くの日本人が共感するエゴの感覚てのは、太宰治が語るような、内省的で、繊細なものに包まれているもんだと僕は思っている。こんな露骨な表現の人物はアメリカの青春映画に出てくるフットボール部のエースでハンサム、脳味噌スッカラカンの気に入らない野郎くらいしか役が貰えないもんだ、と思っている。

にもかかわらず一般に評価が高いらしい。ううむぅ。

ハチマキの最後のスピーチは強烈なエゴと向き合った結果得られた言葉として、これまた強烈なメッセージが込められている。簡単な言葉で語られているからどう響くかはひとによるだろうが、僕には強い言葉の列だった。『オネアミスの翼』のラストをもう一度聞き直したくなった。

Report: Yutaka Yasuda (2005.08.22)


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