取り上げられるのは宇宙に引き裂かれた最初の世代の恋人たち。地球から離れるにつれ、交わされるメイルの届く時間が次第に長くなっていく。時間が掛かるようになればなるほど、互いの位置を心の中で確認するようになる二人。
会社をやめて自宅の Mac を使い、ただひたすら独力で描き続けて仕上げたという 30 分弱の小編である。しかしその完成度に僕は度肝を抜かれた。
僕はこの作品のことを発表当時、何かで読んで知った。しかし見なかった。例によって見なかった。そして今回、とある事情で思い立ってレンタル屋さんから借りてきて見た。それは素晴らしい完成度の高さだった。これがアニメーション製作経験のほとんどない(新海さんは元ゲーム屋さん)人によって独力で作られたものだとは、、、
その後、それもつい先日、新海さんが NHK の『トップランナー』でこの作品を作っていた頃のことを話していた。300 以上の残カットを前に、毎日毎日ひたすらに描き続けていたという。すごい。この作品の完成度の高さは、それが出来上がっていった過程ではなく、最初に絵コンテを引いたその時点でほぼ実現されていたのだと思う。この作品を見た時に感じた衝撃は、そこに込められた個人の思い入れが薄まることなく最後まで届けられた、それを感じた時の衝撃だ。
コンピュータの能力が高くなったこともあって、個人による創作作業の可能性が広がっているのは確かだ。しかし僕がこの作品から受けた衝撃はそんな部分にはない。この衝撃は、昔まだ在学中だった庵野秀明らが『DAICON IV』を出したのを見て受けたそれに似ている。自分自身で「こんなのが作れる」と思った、その想像と、誰かが作り上げた作品との間にある飛距離、そのジャンプの高さに驚いたのだ。そんな高さまで飛べるとは思わなかったよ!と。
どんなに技術が新しくなろうとも、本当に必要な創造力、それが実現するジャンプの高さは、ただひたすらにクリエイターの中にあるとしか言いようがない。誰にも与えられない。誰からも教えてもらえない。自分の中に湧き出す衝動をただ握りしめて掴まえるしかないのだ。そうしたジャンプがあることをこの年になって再び確認出来たのを幸せに思う。クリエイターはいつの時代にもいる。どんなに技術が進もうと、それと関係なく存在する。素晴らしいことだ。
この後、僕は棚の後ろの方から『DAICON IV』の Hi8 テープを取り出し、それが再生できなくなる前にと、DVD に焼き直した。10 年振りに見たその映像は、少しも古びることなく当時のままの飛距離を現在も保っている。すごい。