男はもうすぐ結婚する。部屋には結婚後の生活のために食卓が揃えられた。しかしある時から男はそこに二人の少女の霊を見るようになる。
そうだ。墜落感だ。僕はこの墜落感に引きずられていたんだ。劇中、女は男の精神に立ち入り、過去の記憶を二人でたどる。その地獄巡りを通して、男は自分の心の中の闇に墜落し始める。逃げられない自らの闇との対決は余りに耐え難く、彼は過去の自分ではなく現在の生活を選んだ。過去の辛い事実ではなく、現在の温かな虚構を選んだ。しかし女もまた男とともに深い闇に落ちていく過程で、自らの心の平衡を失いつつあった。彼女もまたくるくると落下をはじめる。
この作品を見たあと、今までになくぐったりとした。ホラーともサスペンスとも言うべきではない、なんだろう、これは。観客にプレッシャーを掛ける事が目的の映画なのかと思ったくらいだ。しかし僕はただ重く退屈なだけではなく、何かにひっかかっていた。その墜落感に引っかかっていたのだ。
それはクローネンバーグの幾つかの作品に登場する暗い心の穴だ。見たことのない人は『戦慄の絆』を見よ。『CURE』を見る限り、黒沢清もその淵を覗き込んだことがあるように思える。このところ僕はこの暗い底を覗き込むことがなかった。この日、映画館で僕はその穴の横に立たされてしまったことになる。
だが僕は落ちなかった。この日、僕は落ちなかった。
苦悩する人妻を演じるにはチョン・ジヒョンはまだ若すぎると思ったが、しかしきわどい自分の精神状態をよく見せていたと思う。誰かに自分が見た光景を信じて欲しい。ようやく信じて貰える一本の細い糸となった男がしかし手を離したとき、彼女は自分を支えることがついに出来なくなり、彼女自身がその手を離してしまった。
救いのない話だと思う。登場する恐怖シーンはすべて現実として語られる。それも十分に根拠のあるものとして。つまり今から 30 年前の、経済発展の光と闇に前後を挟まれて暮らしていた人たちの闇の部分を下敷きにしている。今でも、毎日、余りに暗い現実と人々は背中合わせに暮らしている。その集団的危うさと個人の心の中の危うさを重ねて描く、これは恐るべき事だ。恐るべき日常生活を僕たちは日々過ごしている。そんな現実と向き合ったまま毎日を暮らしていくのは辛い。余りに救いのない話だ。