感染すると錯乱して人を襲うようになる新種のウィルスがロンドンで解き放たれた。28 日後、街は感染者の街となった。僅かに生き残ったものたちが生き残りの道を懸命に探し続けている、その 28 日後の街で男が一人、目を覚ました。
これも劇場の予告映像がかなり引っかかっていたにも拘わらず、見逃してしまった。良い作品だった。僕は『トレイン・スポッティング』を見ていない。ダニー・ボイルの作品を殆ど見ていないのだ。見たと言えばそれなりに楽しかった『普通じゃない』くらいか。『ビーチ』は酷評されていたような記憶があるけれど、くらいしか覚えていない。もちろん見ていない。
しかしこの映画を見て、彼の作品をもう少し見ても良いなと思った。
希望は常に絶望とともに描かれる。しかし僕には絶望がない。うっとうしいことや暗く考えることは数え切れないほどあるが、今のところ絶望というようなものを感じた事はない。つまり絶望というものがあるとしたらそれは何か、ということが僕には分からない。また僕は命の事を考えたことがない。あの戦争のような震災の時でさえ僕は傍観者だった。僕は傍観者として『28日後...』を見た。当然だ。シニカルな気分で斜に構えてどうこういうのが単なるポーズだと僕はよくよく知った上で楽しんでいるのだ。
僕は自分がどのようにして死んで行くのか、考えたことがない。『Big Fish』で死ぬことに過程があると思い、『ブラックジャックによろしく』で僕もきっとガンで死ぬと思った。それくらいだ。ボクハイノチノコトヲカンガエタコトガナイ。
僕は『ゾンビ』をラブ・ストーリーとして見ることができない。そこには作者の動く死体と絶望に対するあからさまな愛情があるのだが、僕にはそれが響いてこない。きっと僕のなかには命が無いからだ。
この作品は実に爽やかに希望を描いて終わる。『ブレード・ランナー』以来、SF映画は暗く、停滞した未来像を描き続けてきた。この作品が提示する未来はまた、実に積極的な絶望だ。感染者は極めてアグレッシブに、素早く襲いかかってくる。
しかし僕らはもうそろそろ暗い未来像から離れても良い頃かも知れない。絶望のない僕らには希望もない。この作品はしかし実にさわやかな希望を残して終わる。そこがいい。
ほらここに絶望があります。そこには希望も入っています。
ひとついかがですか?それともやめておきますか?
(註:これは DVD 版を見た上の話で、劇場版は逆に希望のないエンディングのようだ。)