人間にさらわれてしまったニモをさがして父親が数百キロの旅をする。なんとかニモを探し出さなければ!
はじめに脱線部分を書いておこう。今回のヒットキャラクターはあのカモメ君だ。何かあると皆一斉に振り返り、とぼけた眼でジッと見つめるが、話は決しておだやかではない。「mine?」を連発して襲いかかってくるのだから!これはヒットだった。『TOY STORY』の三つ目のエイリアン君以来のヒットだ。これだから PIXAR はやめられない。
『TOY STORY』『Bug's Life』『Monsters, Inc.』どれも見た。大好きだ。大好きな PIXAR の映画だ。PIXAR は大いなる夢をもって作られた企業だ。はじめは CG の下請けを延々とやりながら、しかし SIGRAPH にこつこつと秀逸な短編を出し続け、技術を磨き、評価をあげてきた。結果的に世界初の長編劇場用フル CG アニメーションという栄誉はディズニーと関係をもつことによってはじめて可能になった。はじめ僕はだから『TOY STORY』の感触を、これはディズニーの感触なのだと思った。しかし今となってはそれが間違いだったことがわかる。その第一作にあったエッセンスをそのまま持ち続け彼らは『ファインディング・ニモ』にたどりついた。PIXAR が傑出したフィルムメーカーであり続けるかどうかは、その映像世界の隅々にまで、その作家の命を感じ続けられるかどうかにかかっていると僕は思っている。映像の隅々にまで命を吹き込むことが出来るか、と言い換えても良い。
『オネアミスの翼』を見てほしい。宮崎駿の一連の作品を。大友克洋も士郎正宗も、その一コマ一コマに込められた強烈な作家の支配力、コントロールを感じる。
アニメーションやマンガの方がより強いコントロールを要求し、またより厳しくそれを追求できる事は間違いないと僕は考えているが、キューブリック、ギリアム、ジュネなどを見ればそれが表現手段の相違ではなく作家側の支配力の問題だということがわかる。
(ちょっと好みが偏りすぎているので特定方向の例しか出せなかったが、そこはつまり僕の趣味だ。映像作家に求められるものに違いがないことは間違いない。)
アカデミー賞の受賞スピーチで、アンドリュー・スタントンがSteve Jobsに感謝を述べていた。彼らは Jobs の夢に押されてここまでやってきた。これからは違う PIXAR が表に出てくるのかも知れない。ディズニーではない PIXAR のアイデンティティを、これからも保ち続けてくれることをファンとして期待している。