途方もない作り話を聞かせることが好きだった父。夢想家で、楽天的で、息子はそれが疎ましくもあった。父も年老いて今や死に向かっている。息子は父の歩いた道筋をたどりながら、父と少しずつ話しはじめる。
アメリカの映画館で見た。入り口で親切なおじいさんに「ティム・バートンのファンタジー」と聞いて「これだ!」と思って入った。彼の映画は結構好きな方で、いろいろ見たがやはりファンタジーが良い。まあ当人の頭の中では『バットマン』も『マーズ・アタック』もすべてファンタジーなんだろうが、なんというかもっと一般的にファンタジーの範疇に入れて貰える傾向の作品が僕は好きだ。
果たしてこの作品はそうだった。実に彼らしいファンタジー。世間では少なからずはみ出し、のけものにされている異形のものたちが織りなす物語だ。ストーリーというのはこのようにして語られなければならない。映画というのはこのようにして作られなければならない。これは彼にしかできない表現だ。これは映画にしかできない表現だ。
アメリカでわざわざ忙しい時間を縫って劇場に入ったのは、そこで見ている人たちの反応を見たかったからだ。実に彼らはめいっぱいスクリーンにシンクロしながら鑑賞していた。痛そうなところでは「アー」といい、笑えるところでは声に出して笑う。ああ、こうやって見ていたんだ。。
僕はいつものようにただじっと見ていたが、映画が終わるとうるうると泣いていた。僕はどのように死ぬのだろう。冒頭、主人公が父親の病状を話すとき、「he is going to die」と言うところでどきりとした。これはどう訳されるのだろう。自分の命が尽きるときの、その過程など僕は考えたこともない。
(先日のテレビ放送で見直したら He is dying だったようだ。興味深い聞き違え(?)だ。)