幕末。新しい体制へと変革する中で、自身の価値観に忠実であろうとした一群の侍たちを、そこに捕らえられたアメリカ人将校の目を通して描く。
薄い。トム・クルーズの影が薄い。公開前から渡辺謙が海外でも話題になっていたが、なんのことはないトム・クルーズが目立たないというのが真相だったか。(もちろん渡辺謙の眼の光が受けたのだろうが、そう思えるくらい薄い。)
任侠映画や、股旅もので見られる義理と人情の板挟み、といったものに対する共感は、果たして万国共通なのだろうか。この日本に特有かも知れない美意識について僕はうまく説明することができない。
(とりあえずインド映画にはかなりそういった共通部分があることを感じるが、、)
それとはまた別に、粗末なつくりの小屋の、しかし磨き込まれて黒光りする床の美しさを見よ。そこに美を感じるこの意識もまた、果たして西洋人に伝えることが出来るのだろうか。戸を閉める小雪の所作も、刀を打ち出す鍛冶のすがたも、真田広幸が振り抜くその一閃も、すべてをつらぬく清廉さと美しさのこの調和を、どう伝えることが出来るのだろう。そもそも clean と beautiful をひとつの言葉に預けている僕たちと、彼の地の人たちとの距離はやはり遠い。
良く言えば現代的な、悪く言えばリアリティの無い筋書きと役者のすがた。衣装はそれらしい。しかし当主と子供と客人と妻が同じ卓で食事をとっている。小雪の髪はレイヤーカットのままだし、眉もあれば歯も白い。黒澤明はこのあたりをまだ守っていたように思うが、確かに今見たら異様かも知れない。しかし山の色。『乙女の祈り』で見たあのニュージーランドの濃い緑は日本の風景ではない。葉の影も、木の姿も、土の色も皆異様だ。これもまた極めてグロテスク。
間違いなく彼の地で撮った、彼の地のサムライ映画と思う。しかしそこで得た共感は、それなりに気持ちに残る。この同じ時期、『たそがれ清兵衛』もまた評価されていた。不思議な感触だ。
(あの床だけではない。教練シーンで剣術だけでなく組み打ちもやるような、誰がこんな入れ知恵をするのだろう?このあたりに妙なリアリティを感じる。『ロード・オブ・ザ・リング』よりよほど。)