盲目の按摩師が宿場を渡り歩く。宿場町は怪しげなものたちが集まり欲望が渦巻く。この男のまわりには常にそうしたものが集まってくる。
まるで無国籍映画のようだ。小林旭がテンガロンハットをかぶり、馬にまたがってギターを抱えて拳銃を撃つというあれだ。一体どこの国の、どの時代の物語なのか良くわからない。座頭市はいわゆる時代劇で、まあ江戸時代も後半あたりを仮定しているのだろうと思うが、それにしてもめちゃくちゃだ。
それは悪いという意味ではなく、ある意味で気持ちいい。僕はアキラの映画なんてそんなに見たわけじゃないが、最後は歌って踊ってどどどどーんとエンドクレジットに入るような、そんな勢いは見ていて悪くない。『少林サッカー』や『ムトゥ踊るマハラジャ』などのチープなオープニングタイトルを見てるとそういう意味でわくわくする。
そういえばこの映画のオープニング、いまどきの映画しか見ていないと急に物語のなかに飛び込んでいくような形に少々驚くかも知れない。昔の映画はこういうのが結構多かったように思う。そういう意味でちょっと懐かしかったりした。ただ懐かしかったのはここまで。あとは今までに見たことが無い時代劇へと進んでいく。時代劇の枠組を借りた現代劇と言ってもいいかも知れない。その意味では『七人の侍』などの黒澤明の時代劇に近い空気を感じる。『たそがれ清兵衛』は現代と共通のマインドを抱え込んだ時代劇だったなあと僕は感じているが、この『座頭市』は違う。映像と、音の組み合わせがおもしろい、他に無いエンタテイメントだ。
活劇。映画というのはまあそういうものなんだろう。
ところでこの座頭市、ひどい男である。ただの暴れものである。理屈もへったくれもない。善も悪も、是も非も無い。ただ暴れ、斬る。
浅野忠信が不可解な印象の侍を演じている。「おわりだな」と声を掛けて老人に刀を振り下ろすその奇妙に自然な狂気はもう彼にしかできない恐るべき演技だ。『FRIED DRAGON FISH』で発見し、『鮫肌男と桃尻女』で再会した、あの浅野忠信がそこにいた。