彼女はときどき僕を殴る。握りこぶしで殴る。左右往復で殴る。カナヅチの僕を水につき落とすし、三杯以上飲むと泥酔して吐く。だけど僕は彼女が大好きだ。
いい映画だと思う。韓国映画は数えるほどしか見た事がないけれど、これはいい。(恐らくは)低予算だが勢いがある。やりたいことをストレートに表現している、そのスガスガしさがいい。
いろいろ書きたいことがあるけれど、今日は主観的に書こうと思う。ネタバレ要素が大きいので、未見の人は注意。
彼女は心の中の空洞と戦いながら、なんとかして毎日を生き抜いている。何にでも突っかかり、誰にでも突っ張り、自分が何とか立っていることを確認していた。自分は違う、倒れはしない、一人でやっていけるんだということを、誰かにぶつけて確認せずにはいられなかったんだ。それ以外に、終りなくやってくるその毎日に潰されそうな自分を支える方法が見つからなかったのだろう。
それが僕にはわからなかった。スクリーンの中の彼女は、ただ吐くまで飲み、誰彼構わずドナり散らして殴りかかる、そんな女だった。
その構図が分かると、彼女が突き付けた無理難題の一つ一つがなんと悲しく、美しく思い出されることか。見合いをすっぽかすために彼女は彼を呼び出し、見合いのために母親から買い与えられたハイヒールを彼に履かせ、ヨロヨロと歩く彼の前を捕まえてみろと飛んで歩く。彼に対する彼女の注文一つ一つが、どれも悲鳴として響く。彼女はもう折れそうだ。いまにも砕けてしまいそうだ。
殴られたら痛くなくても痛いふりを、痛い時には痛くないふりを、殺すと言われたら本当に死ぬ覚悟をして付き合う、そう決めた彼の気持ちも、しかし彼女の辛い毎日を変えることができない。
ただ毎日を安心して無事に過ごすことは難しいことだ。今、それができていると思えるのなら、それは僕に依りかかれるところがあるからだ。あって当たり前だと思っていたものが無くなる事は辛い。無くなってはじめてどれほど大切だったのかが分かる事は、きっと今の僕の身の回りでさえ多くあるはずだ。僕はそれを知りたくない。直視するのが嫌で、ずっと問題のないところを歩いてきた。それでもほんの僅かなことで僕の気持ちは平衡を失い、自分はなんて不安定で弱いんだろうと繰り返し思う。だが彼女のように過ごす勇気はない。それほど真っ直ぐには僕は生きられない。
もう一度見たいと思う。張り裂けそうな彼女を、もういちど最初から見直したいと思う。そんな彼女といっしょに2時間を過ごしてみたいと思う。
歯を食いしばれ。殴る彼女も、歯を食いしばって生き抜いてる。その叫びが聞こえるのなら、黙って歯を食いしばって殴られろ!