有名な未来小説を下敷きにした SF アクション。だが根底に流れる暗さはなんだ。
この映画は悲恋からはじまる。悲恋とはいわないか。男は没頭症の科学者だが、若く美しい娘と湖のそばで結婚の約束を交わした。しかし彼女はその直後に撃たれ、彼の目の前で帰らぬ人となる。彼女を取り戻すべく彼はタイム・マシンの研究に打ち込み、遂に撃たれるはずのその夜へと旅立った。彼女を湖から引き離し、死の危険から遠ざけることに成功したものの、しかし撃たれたはずのその時間に、今度は車が飛び込んできた。彼女は車に轢かれて死んでしまった。
どうすればいいのか?何度戻れば良いのか?何度戻っても、何度でも彼女は死ぬのだろうか?自分の目の前でさまざまな痛みや苦しみを味わいながら彼女は死ぬしかないのだろうか?自分が過去の時間に舞い戻り、生きている彼女に逢うたびに、彼女は繰り返し苦しみながら死ななければならないのだろうか?
これは恐るべきテーマだ。タイムマシンで起きる矛盾や実現不可能性は『ドラえもん』などで何度も描かれてきたが、こんな形で神経に食い込んでくる描写をされたのははじめてだ。なんと悲しい技術、悲しい機械だろう。
ところが映画はここから不思議な展開を見せる。失意の主人公はそのまま未来へと旅立つ。未来に何を見たかったのかはわからないが、彼は幾つもの未来へと旅立ち、そこでは常に空虚な人類の姿を見る。遂に彼は万年単位の未来に飛び込み、そこで恐るべき人類の進化の果てを目にする。ウェルズは多くの優れた未来小説を書いたが、さすがにこの部分において彼の予測が正しかったか、誤っていたかは分からない。人類の文化が継続していたら、それが検証される時もいつか来るだろう。
ともあれ映画は導入部と後半で見事な分離を見せる。僕はガイ・ピアースを見たかったのだから別に構わないのだが、さて一般に勧められる作品になったかと言われればその点は辛い。
派手な CG で画面を飾っても、ジェレミー・アイアンズの珍しい特殊メイクを出しても、根底に流れる暗いイメージは拭えるものではない。原作者は明るい未来像を提示することもある作家だが、おそらくはこの逃れられない暗さは作家の心にあったものではないか。その暗い源流が映画の底を流れるのを、誰も止められなかったのではないか。