ある町に済む三姉妹と、それぞれの家庭の夫婦関係をゆっくりと描く。ベトナムの熱帯の空気を堪能できる作品。
『青いパパイヤの香り』を僕は見なかった。評判が良かったと思うのだが、何故か見なかった。『シクロ』もまた見なかった。この作品は監督にとっての三作目であり、そしてこの作品で僕はようやく彼と出会った。
見た理由はひとえに予告フィルムの映像による。余りにもきれいな緑の葉と青い服。南方系東洋人の肌の色がよく合う。この絵に白人の入り込む余地はない。その過飽和の湿気と、とめどなく降る雨に、これほどの透明な感情を込められるのはアジア人しかいないと思える。
なぜこんなに美しいと思うのだろう。実際には熱気と湿気、その不快さからくる嫌悪感が第一に浮かぶはずなのに。雨が先祖の記憶に刷り込まれたような原始の安心感を呼び起こすのだろうか。水は生命のもとだ。アジアの多くの人にとって回帰するべきは海ではなく雨の水の中なのではないか。
少なくとも僕は海ではなく山の緑と沢の水に、より多くの回帰への安堵を感じる。倒木と岩にびっしりと苔がつき、一歩踏み出すごとにじゅうと音を立てて水が浸みてくるような、植林のための手の入っていない森。そういうところで朽ち、苔や虫とともに土に還る自分を想像する。しかし生きたままその森に足を踏み入れるのは怖いはずだ。そうした森には殺気を感じる。僕は樹海に恐怖心と引力の両方を感じる。もちろん死にたいわけではない。ただ自身の生命から解放されれば、そこに融けるように沈んでいけそうな気がする。
(宮崎駿の幾つかの作品でこうした回帰的な事が描かれていて、ある程度共感する。森への恐怖心がそれほど描かれないので少し違うんだろうとは思うが。)
ところで話の筋や展開に感じる女性の視線はなんなのだろう。監督は男性なのだが、 なんとはなしに女性的な臭いがする。兄妹の距離感もまた奇妙だ。東南アジアの人はなんとなく日本人より距離感が近いところがあって、人なつっこいというか、親しみのある雰囲気をもっているが、それともすこしズレている。 前二作を見ていないが、やはりこうした雰囲気を漂わせているのだろうか。
全く熱帯浴のような映画だ。熱帯の空気と、水を、これほどまでに快適に伝えてくれる。これは熱帯浴だ。