電気になって瞬間移動する男と、追う警察。推理もの。
東宝の特撮で一時期この「変形人間」ものがはやったらしい。『ガス人間1号』『美女と液体人間』そして本作である。『マタンゴ』もまあ変形人間といえなくはないが、やはりタイトルに「…人間」とあるのがかっこいい。
この頃(1960)東宝は『ゴジラ』などの特撮で飛ばしており、この変形人間ものあたりはさしずめ『ゴジラ』では描く事が出来なかった等身大の SF 路線を狙っていたと想像する。
『ゴジラ』もそうだったように、この頃は科学技術に対する批判が物語のひとつの筋になっている。本作でも人間を電送する、という絵空事を差して劇中で「しかし今や宇宙時代だが、戦争当時に宇宙といっても信じて貰えないのと同じじゃないか」と指摘している。
ただ、ガス人間のように科学技術の虚しさと悲恋を重ねるような作りの良さはなく、本作は『妖星ゴラス』のように悩みがなく軽い。そのあたりがちょっと残念。
因みに『妖星ゴラス』は科学技術を肯定的に扱った SF。
若い白川由美さんはグーだ。『美女と液体人間』で書いたような「ホラー女優」的雰囲気はなく、明るい。ここでも途中でお着替えシーンがあり、一瞬下着姿が映る。ひょっとして彼女の「お約束」なのか?他の作品でも大抵何かあるみたいだし。最近こうした美人女優さんがいまひとつ少ないのが残念。
それにしても前半の舞台となる「キャバレー DAIHONEI (大本営)」はすごい。入口で軍服を着てザックをかついだ男が「いらっしゃいませ、二名様!」と敬礼するところで度肝を抜かれるが、まだまだ続く。
客:「舌がヒリヒリするな、なんだこりゃ」
水兵服(!)のホステス:「焼夷弾よ」
客:「何か他のを頼むよ」
ホステス:「はい、ではただいま輸送して参ります」(敬礼しつつ)
客:「ついでに兵糧もたのむよ」(おつまみの事だろう)
1960年、従軍兵も家族を失った者も一杯いたろうに、もう娯楽映画でこれが笑って見られたということか。意外にも皆タフなのだと「平和ボケ」世代は却って違和感を感じる。当時の人達にとって終戦とはそれほどに大きな転換点だったということだろうか。分からない。