ベトナムに行った兵士の日々を兵士の眼で描く。
初見はいつのことだったか。恐らく大学生の頃だ。劇場を出た時の一瞬の違和感が記憶に残っている。高倉健の映画を見た後、客は肩で風を切って劇場を出るらしい。僕はあの時どんな顔をしてたんだろう。
公開当時この作品の反響は随分と大きかった。前例が無いほど高い臨場感が与える衝撃によるものだ。後半のベトナム戦争はまったくのゲリラ戦であり、その実態はジャングルでの白兵戦だ。アメリカは膨大な人とカネをジャングルに注ぎ込んだが、そのどちらも泥の中で擦り切れてしまった。この後ベトナム戦争の後遺症は、まるで帰還兵が持ち込んだ伝染病のようにアメリカ社会に蔓延した。枯れ葉剤は人間の心にも染み着いていたのだ。『ディア・ハンター』『ランボー』など多くの映画もまた戦後作られた。
『プラトーン』は極めてリアルに白兵戦を描写し、戦争の是も非もなく、ただ新兵の経験だけを映像化した。多くの映画でアメリカ軍は、戦場で味方を見捨てず、救出作戦まで組む勇士として描かれるが、この作品では違っていた。カリスマ的に高い戦闘能力を示す兵士(極めて珍しく「良い人」役がはまったウィレム・デフォー)は、味方のヘリに見捨てられ、仲間に裏切られて主人公の目の前で射殺されてしまう。
戦場の理不尽さや周辺の人達が遭遇する悲劇は『キリング・フィールド』『ハンバーガー・ヒル』など幾つかの作品でより濃く描かれる。『プライベート・ライアン』では救出作戦の名を借りて不条理な戦闘に多くの命が投げ込まれていた。
ある意味、『プラトーン』は実にストレートに提出されたアメリカの「思考」なのではないか。作品は意図的に、または意図なしにせよ、徹底してアメリカ軍の視点で描かれる。『パールハーバー』を僕はまだ見ていない、そして恐らく劇場では見ないと思うが、今でも彼らの視点は同じところにあるだろうか。
地雷は子どもですら死なない程度に相手を傷つける。この土に埋められた敵意の針を、僕らは何年経っても抜けないように、こうした映画は良くも悪くも僕らの記憶に針として残る。何年経っても脳裏をよぎるのだ。
高倉健の映画を見た後、客は肩で風を切って劇場を出るらしい。劇場を出た時、僕はどんな顔をしてたんだろう。