中学のある一クラスが、バトルロワイヤル法のもと、抽選によって選ばれた。「今日はひとつ、皆さんに殺しあいをやって貰います。」
原作は第五回日本ホラー大賞の選考で、審査員全員から非難を浴びながらも最終選考まで残ったという小説。確かマンガ化されて少年誌にも載っていたと思う。小説も世間的には非難を浴びたと思うし、映画はやはりそのイメージが直接的過ぎて更に非難を浴びた。一般には国会で取り上げられた事が印象的だったと思うが、実はそんなことはどうでもいい。
中学三年生たちのストーリーであり、作り手たちも多く子供たちに向けて作ったと想像するが、当然ながら R-15 の制限が付けられたため中学三年生は見る事が出来ないという状況での公開だったというのが残念なところ。まあこれは仕方がない。
僕はと言えば、それほどの興味はなかったのだが結局ロードショーでは見ずに、後で幾つかのシーンを追加したこの特別編を劇場で見る事になった。深作監督だから見たと言うのが一番。あとは若い俳優さんたちを見てみたかったというところ。実際、安藤政信は良いキレ具合だったと思う。柴崎コウも今後ホラーなり動く役で出るといいと思う。
ただこのあたりは後で思ったこと。見ていたその時の自分と言えば、特に何という感情も湧かなかった。中学生が見たらどう思ったろうか。15の自分が見たらエンタテイメントとして楽しめたろうか?現実的な何かとして受け止めたろうか。もう僕にはこのあたりはわからなくなっている。
僕の 15 のころはどんなだったろう。もう忘れてしまった。今よりは確実に大きなプレッシャーと抑圧のなかで毎日を過ごしていた事だけは間違いない。自分の能力が見えず、なすべき事が何なのか知らなかった。感情がなかった。自分がなかった。狂っていた。あれをやれ、これをしろと言われてそのようにしても、自分にとって何の意味もなかった。自分自身に価値が生まれはじめたのは高校に行き、自分が何かを作り出してからだ。楽しみの感情とともに、今につながる僕はこの時からはじまったんだと思える。
忘れていた。僕はやっぱり何かを作ることが楽しいんだ。この数年、仕事を変え、結婚し、バタバタした時期も過ぎて落ち着いてきた。また何か作り出す事に自分を費やしても良い頃だ。頭を回せ。気持ちを燃やせ。
劇中、余り感情的に動かなかったが、エンドロールで流れたギターの音と歌詞がなんとなく心に響いた。後で調べるとDragon Ashの『静かな日々の階段を』という曲だった。