Cinema Essay

今年も年の瀬は映画な夜

どうしてこんな三本立てをこんな日に用意するんだろう?罠か?罠なのか?

すごいラインナップの三本立てだ。さすがみなみ会舘(京都)。『バロン』『未来世紀ブラジル』『ブレードランナー』とは。行かないわけにはいかないだろう。オールナイトなどそうそう行くもんじゃないが、仕方がない。昨年に続いて年の瀬は映画な一日、いや、一夜だ。
オールナイトというと就職してすぐの頃、近くの大学の学園祭の映研の主催する深夜映画会に行ったくらいか。確か『ディア・ハンター』を見に行った。たまにはオールナイトも悪くない。

バロン』は本当に久しぶりに見た。劇場で見たのは初見以来初めてではないか。ビーナス役のユマ・サーマンがほとんどデビューの頃の作品のはずで、若く、素晴らしく美しい。
僕は彼女がものすごい美人に見える時と、そうでないときがある。この作品の彼女はしかし本当に美人だ。釘付けとはこのことを言う。
月でのエピソードで途中必ず気を失いそうになるのだが、今回は大丈夫だった。

エンドロールで初めて気づいたけれど、勇敢な兵士役としてスティングの名前が出ている。あら驚き。相変わらず資料を見ない自分が悲しい。
今日はそもそも寝不足なのだが、全く飽きずに集中して見た。

未来世紀ブラジル』はもう何度も見ている。これも途中で必ず気を失いそうになるシーンがあるのだが、大丈夫だった。む?しかし途中で数秒ほどカットされている部分があったように思う。失神ポイントは偶然カットされていた部分だろうか?カットは恐らくフィルムが古くなってちぎれた処理でできたもののようだ。そんなところまで覚えていて、やっぱり自分はギリアムの映画が好きなんだなあと実感。
バロン』の小役人ジョナサン・プライスが再び本作でも小役人、但し主役で登場する。他にも俳優が結構ダブっていて驚く。

劇中ほぼラスト、主人公が女を死んだ事にして帰ってきた時の、女の「死人とセックスしたい?」というセリフのもと単語は「ネクロフィリア」で実にブラック。こういうところは字幕で手加減しちゃいけないと思う。(適切な訳語があるんだから。)

だんだん目もサエてきた午前四時。『ブレード・ランナー』突入である。徹夜ハイ一歩前の頭にヴァンゲリスの「ダンダラダンダラ」という音楽は効く。リドリー・スコット得意の暗い画面に強い光線という絵も疲れた目に効く効く。たまらん。
今回は「ディレクターズカット・最終版」というものらしいが、どこがどう違うのか僕にはよくわからない。今まで何度となくこの作品を見たが、どれも、何度見ても、実に良い映画だと思う。それだけだ。

ホンダが何年か前に突然 P1 を発表して僕らのドギモを抜いて以来、(それまで研究レベルであれだけ停滞していたのに!)ヒト型、二足歩行のロボットはいきなり現実のものになった。同じ頃ドリーが生まれ、クローンなどの人造生物も空想ではなくなった。近いうちに僕は街でショーン・ヤングのような美人とすれ違い、それがレプリカントかヒトか疑うようになるだろう。劇中で描かれるレプリカントの悲しみを、僕は生きているうちにきっと耳にするだろう。

「生きる目的を与えられなかった作りものの生命」には悲しみしか残らない、とは『風の谷のナウシカ』で宮崎駿が提示した結論の一つそのものだ。『ガタカ』で描かれた「選ばれたものたち」を含めて、人間というものの枠組みは曖昧になりつつある。僕たちの世代はきっと多くの問題に直面するだろう。来世紀は自分自身の認識に挑戦する、戦いの世紀となるだろう。
レプリカント・バッティー(ルトガー・ハウアー)は最期にブレード・ランナー(ハリソン・フォード)の命を助けた。「自分は楽になる、貴様はまだ苦しめ(士郎正宗)」ということか。

Report: Yutaka Yasuda (2000.12.23)


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