ウッディがコレクターに誘拐され、日本の博物館に売り飛ばされそうになる。バズたちはウッディを奪還するべくコレクターの家に乗り込むが。。
前作『トイ・ストーリー』と共に、実に楽しくなる映画だ。前作や『バグス・ライフ』と同様、今作もCGの出来の良さなどは見届けることが出来なかった。ただ楽しむ事に没頭したくなるからだ。
ラセッターの短篇は『Luxo Jr.』以来長年に渡って幾つも見てきたが、どの作品もキャラクターに対する愛情に満ち満ちている。それが作品を見るものの心を平安にし、楽しくさせる。今回見た『トイ・ストーリー2』で感じた楽しさも、やはり全編に溢れる愛情に対する共感からくるものだ。ただ、個人的にはテンションの高まりがあまりなかった点が残念。全体的にチョコマカしすぎたような気がする。全編に『STAR WARS』のパロディがたくさんある。それはそれで楽しいのだが、何と言うかそうした楽屋オチ的な、スケールの小さなシーンが多かった。もう少し大胆な絵や展開があっても良かったと思う。前作はそうした大技が幾つかきちんとあったと思う。
ストーリー自体は前作と同じ単純なバディ・ストーリーだ。前回はバズをウッディが救い出した(実は全部ウッディのせいなんだけど)のだが、今回はさらわれてしまったウッディを「次は自分の番だ」とバズが助けに行く。(やるじゃないか!)
前作に比べて場面の変化というか、場所の移動があまりないので、アドベンチャー度はちょっと下がった。そのかわりキャラクターの心情への描き込みが少しできるようになったようだ。その効果か、前作のエンディングで使われた「君は友達」が流れるシーンでは不覚にもホロッときてしまった。こんなにわざとらしい演出なのに。。。
そう、すごくハリウッド映画的な展開なのだ。ケチを付けることになってしまうが、やはりどうしてもあのおじいさんを悪者にするしかなかったのかと疑問が残る。そこが残念だ。
筋書きはどうにでも出来たと思えるのに、どうして「悪いおもちゃ」を出す必要があったんだろう。途中まで人の好さそうなこの老人に感情移入していた観客は、その気持ちを途中で裏切られてしまう。後味が悪い。『バグス・ライフ』で(冒頭から一貫して)悪いバッタが小鳥に食べられてしまう時ですら少なからずギョっとした。今回のはちょっとわけが違う。うーん。。
ちょっと脱線するが、僕はキャラクターの中ではエイリアンが一番好きだ。青い服、緑の顔に三つの目玉が動く奇妙な宇宙人なのだが、これがなんとも可愛い。
いまいち思考回路がユルくできているらしく、いつも幸せそうだ。前作ではクレーンゲームの景品として登場し、いつもおもちゃをギトギトにしてしまう隣家の悪ガキにゲットされてしまったのに、『僕は選ばれたー(I have been chosen..)』とか言いながら幸せそうにしてる。そしてやっぱりいきなり犬のエジキになってしまった。実に哀れなキャラクターなのだが、何故かこれが僕のアイドルになった。
どうも製作スタッフにもファンがいると見えて、映画の予告編や広告などの結構重要なポイントに必ず登場する。今作でも三体が登場し、楽しませてくれた。
グッズでの人気はしかしいまひとつのようで、先日マクドナルドの景品としてトイ・ストーリーのキャラクターが並んでいた時も、ウッディ、バズは品切れだったのにエイリアンは余っていた。一般受けはしないのかなあ。良く考えたら我が家にある光って喋るエイリアンぬいぐるみも、近所のディズニーストアで売れ残った75% offのものだった。
最後に、やはり少しは技術的な事も書いておきたい。犬や人間の描写がより現実的になったというのが一般評のようだが、僕にはそうは思えない。前作でも技術的にはある程度以上出来たはずで、特にできなかったからやらなかったようには思えない。今回登場している人間だって、技術的に先鋭的なレベルでリアルというわけでもない。
思うに演出上、CGで人形と人間を同時に表現する、と言うことに対する答の置きどころとして、前回はああいうところにしか答を見つけられなかったのではないだろうか。「全体をパステルトーンで、CG人形の平面的表現とバランスさせるために、人間は出さない」と。子供たちにCGアニメーションがどれほど受け入れられるのかも初回では良く分からなかったろう。下手をすると「CGがアニメーションの表現として、いかに手仕事に劣るか」をチェックするためにやって来る観客だって少なくないのだから。
しかし前作である意味、彼らの表現がそれなりの世界を獲得することができたので、そこを拠点に少し手を広げ、今回非常に漫画的な人間を出すことにトライしてみたのではないかと思う。今なら受け入れられる、と。
つまり新しい表現の足を引っ張るのは技術ではなく、人間の慣れだという気がする。