男はオフィスに閉じこもってネット世界で仕事を続ける、いまどきの諜報部員。次々と罪を重ねては逃亡する謎の女。男は偶然女に出会い、その日から影のように女を追い、護り続ける。二人は決して出会わない。
『プリシラ』の監督だ、と言うただそれだけの理由で見る気になった。ユアン君もアシュレイ君もそれほど興味があったわけじゃあない。僕にとってはユアン・マクレガーはどちらかというとボーとした印象で、むしろ悪い印象の方が強い。『普通じゃない』は軽快なコメディ映画だと思うが、キャメロン・ディアスの元気さだけが印象に残る。思い出すたび、彼じゃなくても全然問題ないよなあ、となってしまう。『STAR WARS』はむしろ「彼じゃない」という感じだ。
余りストーリーを追わない上に、登場する人物の心の動きを追う能力に欠ける僕には不可解な部分が多く残る作品となったが、しかし何故か心にしみる作品となった。丁寧な映像や、後半の寒々しい雰囲気にも影響されているとは思うが、奇妙に印象的な作品だ。
いつものように事前情報無しに見ているので、スパイ話だとすら知らなかった。だがこの作品では主人公の男が諜報部員かどうかは余り重要ではない。男が、外界との接触を拒んでいるということだけが重要なのだ。彼はセンサーを使って相手を観察し、相手の情報を一方的に得ながら、相手と向き合う事はない。
いまどきのスパイなり探偵がデジタル機器とネットべったりで仕事をしていると言うのは本当らしい。リアル世界の人間を相手にしていながら、部屋からほとんど出ないスパイと言うのもあながち有り得ない話ではない。
デジタル処理されたセンサーからの情報を通じて特定の相手に接し続けているというのはどういう感覚のものだろう。それが盗聴マニア、ストーカーと呼ばれる人達の感覚と同じだろうと言う程度の事しか僕には分からない。
そうした一方通行の感情移入とはどのようなものだろう。普通に言う片想いとたいして違わないのかもしれない。僕らが日常的に普通だと思っているものと、嫌悪すらする普通じゃないことの境界は、それほどはっきりしていないものだ。