73歳のアルヴィン(ファーンズワース)の元に何十年前に仲たがいした兄が倒れたとのしらせが。アルヴィンは周囲の反対を押し切って時速8キロのトラクターにのって、800キロの道のりを兄と昔見た星空をまた一緒に眺めるために出発するが…。
この映画を見て再認識した事実がある。ヒトがヒトを許すことがいかに難しく、勇気を必要とし、そして、頑なに自我を通そうとした後悔が付きまとうかということだ。結論から言えば必見作である。
人間への暖かい眼差しが感じられるこの作品の主題は許すことであると思う。主人公は何十年も前に兄と仲違いしてしまい(何でそうなったのかはついぞ語られない、要するにそんなことはもうどうでも良いのだ)、それ以来彼には会っていない。子供の頃は一緒に星を見て、夢を語り合うほど仲の良い兄弟だった、もう一度星空がみたいのだと主人公は劇中で語る。
時速8キロのトラクターでなくてもいいだろうに。主人公がこの年になるまで兄と連絡をとらなかったのは、強い自我のためである。そんな自分を確かめるようにゆっくりと旅をしようとする彼の姿は、出発の決心がいかに難しいものであったかを想像させる。そして、それが難しいことであったからこそ、ラストの星を一緒に見るシーンが感動に昇華されるのである。
また、他の登場人物に対しても暖かい眼差しが注がれる。自分の子供を過失から失ってしまった主人公の娘や、承認されない子を妊娠してしまった女の子、また、戦争という極限状態の狂気のなかで仲間を見殺しにした老人など。それらの人々を、主人公は癒し、また癒されるのである。
デイビッド・リンチはその奇妙な作風で知られた映画監督である。今回の作品は彼初めての年齢制限がない一般公開作品であることがマスコミでよく取りざたされている(インタビュー記事を読むと必ずそのことが質問されている)が、しかし、私はこう思うのである。今までの猟奇的、キチガイ的作品の中にも今作のテーマが盛り込まれているように思う。何と言うのだろう、「人間への悲哀」、また、「人間への暖かいいたわりの眼差し」である。『エレファントマン』は言うに非ず、『ワイルド・アット・ハート』『ロストハイウエイ』などいろいろな作品の中に暖かい視線を感じるのは私だけだろうか?
ただひとつ、今までの作品群と違う所を挙げるとすれば、今までは「巻き込まれ型」のものが多かったように思う。何か理不尽なシチュエーションという大きな波が人間を飲み込んでしまうような受動的(少しニュアンスが違うがそんな意味です)な映画だ。映画中のその波は、歴史の流れのように逆らいがたいものであり、一個の人間など屁でもなく破壊させてしまう。そんな儚い存在としての人間に対する憐憫の情、悲哀があったのだ。
けれど今作に関して言えば、自分の意志でトラクターに乗り、自分の意志で兄と一緒に見た星空を求めようとする。能動的なのである。大切なのは一老人の意志なのだ。そこが違うように思う。
突き抜けるような中西部の青い空と、許すことによって透き通る心とがシンクロする気持のイイ映画だ。
今世の中では、簡単に人を殺したり、考えられない理不尽な事件など如何ともしがたいことが起こっている。けれど、この映画を見ていると人間もまだまだ捨てたモノではないな、とさえ思ってしまうのである(一種の逃避行かも知れないけど)。