Cinema Review

降霊 ウ・シ・ロ・ヲ・ミ・ル・ナ

監督:黒沢清
出演:役所 広司風吹 ジュン哀川 翔石田 ひかり大杉 漣草なぎ 剛

純子は霊能力を持っているが、普段は普通の専業主婦をしている。その夫・克彦は、TVの効果音係。ある日、純子は知り合いの大学院生に、誘拐事件で行方不明になっている少女の現在の行方と生死の確認を頼まれた。大学でははっきりと感じられなかったものの、家に帰ると何故か近くにその少女がいると感じる。調べてみると、克彦の機材トランクの中に少女が横たわっていた…。克彦が富士山に録音に行った際に紛れ込んだのだ。

黒沢清監督による、関西テレビ制作の2時間枠TVドラマ。
ストーリーには無理が有ったが、それを上回る独特の演出の魅力を感じられて、個人的にはとても楽しめた。
黒沢清監督の作品の流れから言えば、一連の『学校の怪談』テレビシリーズ→『DOORIII』→『復讐』シリーズ→『CURE』→『蜘蛛の瞳』→『ニンゲン合格』という文脈の上に成立する作品だったと思う。

この作品、やはりホラーではなく、変則的な夫婦の物語なのではないだろうか。ホラー色よりも、人間ドラマとしての印象の方が強かった。正直、それほど怖くはなかったし。
夫婦の関係を描き切ったとは言えないが、そのどうにも哀しい関係、転落していく様が辛い。最初から、メインとして描かれたのは役所広司と風吹ジュンの「霊」を見てしまうという「ある種の障害」を抱えた夫婦の、ストレスに晒されつつも平凡な生活だった。
そして、妻は事件によってその平凡な生活を変えようと考える。最初は「霊感」を信用してくれない社会に対する恐怖から事実を隠蔽しようとするが、次の瞬間には「霊」を見てしまう事をプラスに転換させようと欲ばってしまった。役所広司が風吹ジュンの暴論に逆らえないのは、彼女をこれ以上失望させたくは無かったからだろう。それによって逆に、より大きな絶望へと向かってしまうのだが。そうして彼等は、劇中のセリフに有る様に、後ろを振り向き何を積み重ねてしまっているか?と確認する事を避けてしまう。サブタイトルは、番組予告を見た際には「なんて悪趣味な!」と思ったが、改めて考えてみると、この夫婦の状態を直に表現したなかなか含意のあるものだったのか。
風吹ジュンは自分の抱える障害、役所広司は妻への愛情に縛られ、お互い良かれと思った事が裏目に出て、結果、なにもかも駄目にしてしまうという怖さ、哀しさ。そして、視聴者である平凡な我々にも突き立てられる、欲望への当然のごとく非情な結末。
ラストは正直な所、少々あっけなく感じたが、根元にある問題に関して言えば『CURE』に近いのではないだろうか。ラスト、主人公によって自らが守ろうとした家庭に幕を閉じる事で、全てのストレスから解放されるという構図においても。また、今回は、ストレスの元になっている当事者の葛藤をも描いている点で、視点が一つ広がったとすら感じた。それは、『ニンゲン合格』を踏まえた上での発展だとも考えられる。

人間を描くための作品で、「霊」をあそこまで直接的に表現した事に違和感を感じる人もいるだろう。これに関して言えば、『蜘蛛の瞳』のワンシーンに見られる様に、過剰なストレス(罪悪感)の視覚化と考えて良いのではないだろうか?全てが日常の中で展開され、入り込んで来る不可解な気持ち悪さ。現実と幻覚との混濁。役所広司が自分を焼き殺したり、録音スタジオの中でいきなり孤立するシーンはまさにその端的な表現だと思う。また、ある存在の名残りとしての意味もあるのだろう。
ただ、風吹ジュンの見るものに対しては、超常を描かざるを得ないという点で、ちょっと中途半端さを感じてしまうのも事実だが。その辺りは、ジャンル的、もしくはテレビ的な束縛があったのかも知れ無い。恐らく、TV版『学校の怪談』シリーズ(関西テレビ制作)からの流れで、今回の作品が作られただろうから。

表面的な視点で言えば、やはりストーリーは難ありだった。
「トランクに入ってたら、持ち上げた時に普通気付くだろ…。」と視聴者のほとんどが突っ込んだのではないだろうか?実際には、あの手の機材トランクはそれだけで相当に重いらしく、少女が入っていても気付かない可能性があるらしい。だが「機材トランクは重たい」という表現は、作品の中ではされていない。ストーリー展開の起点である「トランクに入った少女に気付かない」に、観ている段階で納得が行かなければ、その話に入り込む事は難しいだろう。
また、警察や救急車を呼ばない事に疑問を持つ人が多いのも、見せ方の不備によると思われる。これに関しては、作品冒頭から霊的体験に対しての世間の無理解への失望を微妙に描き、実際にセリフで「私が発見しなければあの子は死んでた。でもどうしたらその事、分かってもらえるのだろう」と風吹ジュンに言わせているので、説明不足とは思わないが。もうちょっとだけ強調した方が良かったのかもと、口惜しい限りだ。
ストーリーが説明不足気味な点に関しては、そういう作品だと最初から期待していたので、ストレスは感じなかった。良く見れば、分かる範囲であるし。説明過剰ではないだけで、必要最低限の事は大体ちゃんと描いていると思う。ただ、ストーリーの核となる「夫婦の葛藤」から外れる捜査状況の描写などは割愛されているので、集中力と補完する想像力が必要な事は事実だ。普通のTVドラマにおける説明過剰な見せ方に慣れ過ぎていると、置いてけぼりを食う可能性は大である。

今回の作品で私が一番に楽しめたのは、その独特の構図とカメラワーク、長回しだった。
空間の恐怖や美しさを描かせれば、やはり秀逸。とにかく、空間の切り取り方の素晴らしい事!何度「ひー!かっこいい!」と叫んだかわからない。奥行きの有るクリアだが重たい映像と、その人物配置などにみられる立体的な面白さは抜群。
また、黒沢清の作品らしく、役者が(あまり)演技過剰にならないのも良い。特に、役所広司と哀川翔がセリフを掛け合うシーンは、その独特の平板さが、リアリティと同時にある種の幻想的な雰囲気や緊張感を醸し出していて、非常に楽しかった。不安要素だった草なぎ剛も、その無表情な演技や顔つきは、逆に黒沢清の作品世界にマッチしている気がした。まぁ、セリフのこなれ方などの演技そのものには抵抗があるが…。逆に浮いてしまった様に感じたのが、石田ひかりと風吹ジュンか。ちょっと演技しすぎである。

中田秀夫的な恐怖演出に依存し過ぎではないかという批判も当然あるだろうが、黒沢清も独自に「顔をみせない」「髪の長い女性」「何でもない所にポツンと立っている」等を実践していると、私は彼の作品群から感じている。また、あくまでも過剰な強調をしないのが黒沢清だ。そしてそれが実に気持ち悪い。恐らくは、古典的ホラー作品の研究や、高橋洋氏、小中千昭氏などの脚本家とのセッションから生まれたものだろう。
ただ、『リング』がメジャーになり、その系列の作品が幾つか作られた今、もう既に食傷ぎみになって行き詰まった手法ではないのか?というレベルでは、その意見に賛成なのだが。それは、どれを見ても『リング』だと言われてしまう事に表れている気がする。効果的な手法だとは思うけれど。

所で、大杉漣に憑いてる幽霊がレストランを出るシーンはどうなんだろう…。あの様な合成がチープさを匂わせる事は分かっているだろうに…。ビデオ化するなら、レストランを出る幽霊のシーンはどうにかして欲しいものだ。後、オープニング、エンディングもビデオで作り直してくれないかなぁ。

総括としては、「良く考えて作られているけど、アラも目立つ」と言った所か。制限時間の中になんとか納めようと言う葛藤も感じられた。
彼の演出を平凡としか受け取れない人には、まるで駄目かもしれないし、恐怖娯楽映画を期待すれば、あまり欲求を満たしてはくれないだろう。だが、ちゃんと見れば答えをある程度返してくれる作品だと私には思える。
ほぼ映画に接するのと同じスタンス、スタイルでゴールデンタイムのTVドラマを監督した黒沢清と、それを許した関西テレビには敬意を表したい。

Report: Jun Mita (1999.10.14)


[ Search ]