横浜のナイトクラブNo.1のユカは、船荷会社社長のパパに養われている。ボーイフレンドのオサムは、そんなユカの状況にちょっと不満気味。そんなある日曜日、ユカは、パパが実の娘にお人形を買ってあげる場面に出くわす。その時のパパの表情は、今までユカに見せて来たどんな表情よりも嬉しそうだった。悔しくなったユカは、次の月曜日に同じシチュエーションでお人形を買ってもらう計画を立てる。パパに喜んでもらう為に。
『狂った果実』『砂の上の植物群』の中平康監督作品。
映像について評価される事の多い作品だが、それは、美しさよりも面白さによるのだと感じた。止め絵としての映像も、確かに良く整理されていて普通に綺麗だ。しかし、長回しや、唐突に挿入される無声映画的なシーンなどに見られる演出部分の方が、より際立って楽しい。
そしてなにより、この映画を語る際に避けて通る事ができないのが、若き日の加賀まりこ演ずるユカというキャラクターについてだろう。実に、加賀まりこのルックスがその役柄にぴったりとハマっている。加賀まりこの少女の幼さの残る表情や大きな瞳と、美しい体のライン。ユカの純粋過ぎるほど純粋な発想と、奔放な性生活。少女と性的に成熟した女性という対立する二つの要素を表現するのに、当時の加賀まりこほどの適役はない。この映画はまさに彼女の為の映画だ。
ユカというキャラクターだが、正直な所、好きになれなかった。白痴スレスレの純粋さと奔放さ、男の悦びを導き出す事が一番の喜びという設定。その人間味の感じられない中身の無さにイライラしてしまう。都合の良いキャラクターを出して、最後まで軽快にやりすごすのだろうかと、暗い気分になった。だが、徐々にユカの存在に乾いた虚無感や退廃を強く感じる様になる。
それは、前半部分のお洒落なラブ・コメディーから一転、後半は人々の思惑がスレ違う悲劇へと変貌するストーリーに見て取れる。オサムとパパの哀しいまでに人間的な選択との対比で描かれる、彼女の抱える純粋さがひき起す悲劇。
ユカという存在そのものが周囲の人間にとっては快楽であり、同時に困難でもあるのだ。無自覚な存在悪。それは、ホラー映画における幽霊やモンスターそのもの。この映画のユカに対する評価で「小悪魔」という表現を頻繁に目にするが、それはこういう意味であったか。
ユカの純粋さ(空虚さ)に潜む怖さが、この映画に対する私の評価を決定したと言っても良い。全編ラブ・コメディーであったなら、個人的には興味を持てなかっただろう。逆に、気楽なラブ・コメディーを期待する向きには、あまりお薦めしない。