刀鍛冶場で働くテンゴンとチュタオは、町で僧侶が猟師たちに殺されるのを目撃。チュタオはその宗教心から、僧侶の敵討ちを決意する。一方のテンゴンは刀匠の教えを守り、猟師討伐には参加しないつもりだった。だが、ふとした事でテンゴンは父の敵の存在を知り、事態は急変する。彼が父の敵討ちの旅に出た矢先、偶然、猟師たちが刀匠の娘リンを捕らえた事を知って、猟師と死闘を繰り広げる事になったのだ。
ストーリーは、はっきり言って崩壊している。分りにくい事、この上ない。
単純な話のはずなのに、幾つかの要素がごちゃ混ぜに展開していくので、ストーリー上の見せたい部分が見えてこないのだ。
要素は大ざっぱに見ても、「テンゴンの敵討ち」「リンの恋愛」「チュタオとテンゴンの娼婦を巡る思い」「チュタオの猟師討伐」「リンとチュタオによるテンゴン捜索」「ルン(テンゴンの敵)と刀匠の確執」と言った所。勿論、ストーリーをごちゃ混ぜ、多重構造にする事で効果を発揮するタイプの映画も有る。だが、普通のアクション映画に、それは効果的だろうか。シンプルで分りやすい設定や展開だからこそ、観客は主人公達に容易に感情移入し、その報復的アクションによって爽快感を得る事が出来るのではないだろうか。そう言った意味で、ストーリー設定は贅肉だらけに感じられる。
だがこの映画は、これだけの要素を詰め込みながら、冗長になる事がほとんど無い。むしろ、着いて行けない程の展開の早さをキープしている。
どうやってそれを可能にしているのか?
実は、ストーリー・テリングを捨てる方向に突っ走っているのだ。ストーリーこそがこの映画の贅肉だと言わんばかりに。おそらく、この様なある種の暴挙・冒険に出た動機は、本当にアクションそのものが全てという映画を作りたかった為なのだろう。
よって、映画全編がアクションという基本的な方向性の為に、アクションの動機となる要素・設定は詰め込むが、アクションの邪魔になる「語り」の部分はなるべく排除されている。あったとしても、アクションを絡めながら語っていく。
実際に観て頂ければ分かると思うが、普通の場面にも無駄にアクション要素が漲っている。どんなシーンにも、必ずと言って良い程、人間の体がしなやかに機敏に動く瞬間の美しさが写し出されているのだ。
そして当然、この様な方向性の上で展開されるアクションは、とんでもない迫力とスピード感で満たされていた。ワイヤーワークを多用したアクションシーンは、俳優に人間離れした動きをさせ、予想もつかない様なスピード感を実現している。特に、ラストの一騎討ちは、まさに壮絶。唖然とさせられた。
ここで描かれるアクションは、いわゆるチャンバラだが、場面や設定が独特のアイデアに溢れていて、凄く楽しかった。マカロニ・ウェスタンの中でチャンバラという雰囲気も『子連れ狼』『座頭市』っぽくて良い。また、道具や服装も実に凝った作りをしていて、ディティールで冷めるという事が無いのも素晴らしい。
映像に関しては、画面内の色使いに、かなり意識され計算された美しさを感じさせられた。だが、たまにカメラワークがアクションを殺してしまう部分の有る事が、非常に残念だったが。
ストーリーを語る気がほとんど無い映画に、ストーリーが理解し難いから駄目だと言うのは、実にバカバカしい。全てはアクションの為に用意された映画。どうせなら、もっとストーリーを削除しても良かったかもしれない。
観る人を選ぶ映画なのは、確かだろう。主人公が困難を乗り越えていく姿に感情移入して、爽快感を得るのは難しいと思うから。だが、この映画のアクションそのものの迫力や爽快感は強烈だ。
そのあり方も含めて、生まれて初めて香港アクション映画を観て美しいと思えた。