豚小屋で生まれたと言う大学生の正吉は、沖縄にあるスナックの常連。いつも通りママ・ミヨ、店のネーネーの暢子、和歌子と一緒に泡盛を飲んでいると、店の中に豚が飛び込んで来た。店の中で暴れる豚のせいで、和歌子が失神、マブイ(魂)を落としてしまう。正吉は、豚のもたらす厄を落とすため、ネーネーたちに神の島・真謝島のウタキで、ウガン(御願)をする事を提案する。だが、正吉の本当の目的は、島に残された父の遺骨を拾いに行く事だった。
『月はどっちに出ている』『犬、走る DOG RACE』の崔洋一監督作品。
文化的な描写を重ねながら、人間の欲望を正面から肯定的に捉える作風が今回も楽しかった。
出て来る人々の独特のイントネーション、分らない言葉、観ているだけで暑くてダルそうな天気。それらが、沖縄の独特の時間の流れ方、明るくてのんびりとした空気を表現している。ほとんど沖縄的な音楽が意識されていない事も、映画の雰囲気を壊す事なく、逆にぴったりとハマっていて心地よい。
そして、今作では何にもまして、3人のネーネー達の生命感が素晴らしいのだ。旅の荷物を正吉に全て押し付け、宿舎のおばちゃんと飲んで騒ぎ、正吉を積極的に誘惑し、食べ切れない程の豚料理をガツガツとたいらげる。3人ともにわがままで、自己中心的で、それでいて逞しい。彼女達がそこに生きていると言う感触をひしひしと受け、観ていてとても楽しかった。
だが、彼女たちは、自分の子供を何らかの形で失ってしまったと言う死の記憶を、それぞれに背負っている。普段は明るく図々しく生きているが、その裏にはある種の絶望や虚無感を抱え込んでいるのだ。自分の分身の死に対する回答を求め、納得し、脱却して自分の物とするための旅を描く事が、この映画の一番のテーマなのだと私は感じた。そして、それがほとんど湿度を高める事なくアッケラカンと描写されていく。その描写のされ方に、どうしたって生きているのだという生命感や崇高さを、感じさせられて良かった。
ただ、テーマ的な内容を収束させようとしたラストの暢子の逸話は少し唐突だし、映画全体から観ても湿度が妙に高い様に感じて、少々残念だった。
以上の様に3人のネーネーに対しては非常に魅力を感じたのだが、主人公の正吉には、あまり生命感や魅力を感じられなかった。テーマを一番分かりやすい形で背負っているキャラクターだし、可愛らしいとも思うのだが。
ネーネー達の荷物を一人で持つ、ミヨを背負って歩く、そして、全力で疾走する。身体的な力強さは表現されているが、それが逞しさとはどうにも直結しない。寡黙で、3人のネーネー達に振り回される様から考えるに、この生命感の無さは意図的なものだと思われる。繊細な青年の成長物語としての側面もあるのだろう。だが、彼がいまいち何を考えているか分かりにくい上に、まわりのキャラクターが強烈なので、感情移入する事が難しい。
それは、説明不足ぎみの設定描写にも原因があるのかもしれない。
おしゃべりなネーネー達については、せリフや表情の中で欲求や背景がストレートに描かれる。だが、寡黙な正吉に関しては、ほとんど映像のみで背景や欲求を描いていく。勿論、映画の中で必要な部分はちゃんと描かれている。しかし、細かい背景(例えば、なぜ彼がヤマトグチ(日本語)を使うのか?)が描かれないために、小さな疑問が引っ掛かって、正吉というキャラクターに入り込めなかった。
役者に関しては、あめくみちこ、上田真弓の演技に魅了された。沖縄の役者である平良進、吉田妙子もこの映画ののんびりとしたそれでいて逞しい雰囲気を強調している。どの作品でも確実な存在感を発揮する岸辺一徳も、流石だった。ただ、主演の二人は、ちょっと演技に堅さを感じたかな。まぁ、まわりが上手すぎる気もするけど。
のんびりとした雰囲気が人によっては退屈かも知れない。雰囲気に入れるか否か、それがこの映画への個人的な評価を大きく揺さぶる事になるだろう。崔洋一監督の人間描写が好きなら、楽しめると思う。