2199年に仮想現実のみの世界で生きる人類。真実を知った男は世界を救うためにシステムと闘う。
これは面白い。見て良かった。
現在自分が生きている世界が果たして現実のものだと確信できるだろうか、というテーマは、胡蝶の夢の昔から人々の頭の片隅で生き続けている。最近ではバーチャル・リアリティ(仮想現実)関連の技術や、サイバー世界(ネットワーク中に構成されたとみなせる個人環境と社会環境)の一般化によって、多くの人達にとってこのテーマは夢物語ではないと考えられるようになったと思う。仮想現実世界と現実世界の混同ないしは入れ替わりは、達成されるべき未来の一つとして十分ありうると考えられるようになった。
士郎正宗などはもう10年も前からそのような世界にダイブして作品を描き続けている。日本の漫画・アニメーション作家などはこの種の分野で世界的にも突出した存在らしく、海外の多くの映像作家がその作品世界に魅かれていると聞く。サイバーパンクが一つの分野として認知されたのと同様、近い将来この分野についても何らかの名前がついて後の人達に分類されるかも知れない。(ジャパニメーションというのはちょっと違うくくりだと思っている。)
この作品の脚本・監督を担当し、まさにマトリックス世界を自分たちで構築したウォシャウスキー兄弟は、日本のこれらの作家たちに多くの刺激を得ていたはずだ。
マトリックス世界では認識が現実である。これは受動的な表現で、能動的な視点で言い直すと、意識できればそれは現実になる、ということだ。ここでは更に一歩進めて、認識に負けてしまえば肉体にまでそれが反映されるとしている。殺されたと認識してしまったら心臓は停止するのだ。
『攻殻機動隊』では現実世界で意識と結果を同一化させるために、人間の体を機械部品と入れ換えていた。それによって強烈な動きが可能になっている。マトリックス世界では逆に意識を肉体から遊離させることで同じ結果を得ている。そして映画としては、その非現実的な映像をCGアニメーションで、強烈なアクションを香港テクニックで表現させているのだ。
この構図を考え付いた時点で、この作品は恐らく9割がた出来あがっていたのだ。サイバー世界での恐らくは非現実的な戦いを、CGではなくブルース・リー以来二十年以上かけてエスカレートさせてきた生身の技術である香港カンフー&ワイヤーアクションによって描写したことで、そこにはアツさが加わった。認識世界として妙にグニャグニャした映像をCGで描いてみても、今の技術ではまだそこに温度感は生めない。その表現はたいてい『STAR WARS』のレーザー銃の撃ち合い並に冷たいものになってしまう。
『JM』はこの点でやはり失敗していたと思う。『TRON』は生身の俳優に演技させる事で感情移入できる対象を与えていた。そう、『マトリックス』では闘っている対象に思いきり感情移入できるのだ。これはブルース・リーや高倉健の映画で感じることができる一体感(なりきり感)と同じ種類のものだ。見ていて自分も「アチョー」と叫ぶ。そこが大切なのだと思う。(もちろん健さんは叫ばない。見た人は映画館の出口で肩で風を切る。)
そうした点も重要なのだが、個人的に引き込まれた要因の一つはやはり画面の美しさにあると思う。本編で僕が最も好きなアクションシーンはオープニングのキャリー=アン・モスの登場シーンだが、この全体に暗い画面が実にカッコ良い。『Dark CITY』に似た印象かと思ったら、パンフレットに製作総指揮のアンドルー・メイソンはオーストラリア初のSFX工房を作り、その後作った映画会社が『Dark CITY』を手掛けたとある。なるほどそういうことか。
SFXそのものについてはさまざまなメディアで既に多く語られていると思うのでここでは省こう。ワイヤーアクションはおおむねいい印象なのだが、キアヌのカンフーについてはそれほど良くない。まあ最初からジェット・リーのような体のキレの良さは期待していないのだけどね。
ところでインドアでの銃撃戦シーンが実に派手だ。薬莢がバラバラ落ちてキンキンと鳴るところなどは香港映画では良くやられているシーンだが、物量とわざとらしさでハリウッドを遥かに超えている。ひたすら撃ちまくるのもジョン・ウーなどの香港ノワールっぽくていい。至近距離からマシンガンの固め撃ちで柱や壁がバリバリ削られるのは士郎正宗などが良く描写しているが、まさにそのまま映像化されている。恐らく大理石の板を張り付けたようなロビーでバラバラ撃ったら本当にああいう風に削れて飛び散るとは思うが、これはきっと監督が士郎正宗らに影響されたと思うのが普通か。
ふと見ると、パンフレットに大友克洋が「ハリウッドは予算があるから実写で出来る」んだと書いていた。うーんそんな事言われるとなあ。。
漫画やアニメーションと言うのは書き手がそれをイメージできれば、描く事さえ出来れば現実になる世界だ。その意味ではマトリックス世界そのものだ。実写映画がそれを実現できるようになったのなら、漫画やアニメーション作家は更に上の空想を描けば良いのだ。もちろんCG技術の進展と共に、実写やアニメーションと言う線引きが余り意味をなさなくなった事は確かだと思う。しかしまだまだ漫画やアニメーション作家が生み出すべき領域は深く広く存在していると僕は思う。もちろん大友克洋はさまざまな表現手段を用いて今後もその限界に挑戦し続けていくだろう。
一瞬でヘリコプターの操縦プログラムをロードして仮想世界で操縦できるようになったり、クンフーをマスターできると言うのはどういう構造なんだろう?(仮想世界の体にロードする?)とか、考え出したらかなり奇妙な事があるが、そういう事を吹き飛ばして仮想世界にダイブ出来る、そういう意味で非常に良くできた娯楽作品だと思う。