スポーツ万能、成績優秀、眉目秀麗な理想的アメリカ少年・トッドは、授業で学んだユダヤ人大量虐殺に強烈な興味を憶えた。図書館でナチスについて独学していたある日、身元を偽って地味な余生を送っていた元ナチス幹部・ドゥサンダーを偶然発見する。トッドは「言う事を聞かなければ、お前の事を警察、ひいてはイスラエル政府に報告するぞ」とドゥサンダーを脅し、ナチスの行った実際の残虐行為について話をさせる事にした。やがて、ドゥサンダーは過去の狂気を蘇らせ、トッドはホロコーストの悪夢に翻弄されて行く。
スティーブン・キング原作、『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー監督によるサスペンス映画。私は原作が結構気に入っていた為か、とにかく物足りなかった。
ストーリーがダイジェスト的になるのは仕方が無いと思うが、それぞれの場面がそれぞれのインパクトだけで終わり、流れがいびつに感じられるのはどうかと思う。一つ一つの場面が一つ一つの狂気を上手く描いてはいるが、それらを繋ぐ表現が欠落しているので全体としての狂気・恐怖が上手く伝わって来ない。その為、ストーリー展開が非常に唐突に感じられる。
映像的な残酷さも、表面的な、しかも軽い表現に限られて、胸をえぐられる様な恐怖を感じさせるものでは無かった。このストーリーの最大の恐怖は、トッド同様、どの様な人間でも狂気の淵に立つ可能性が有る部分だと思うのだが、映画では、あまりにも特殊な事例に感じてしまう。
ラストシーンに関しても、原作が好きな観客には賛否両論持ち上がるだろう。しかし、この点に関しては、私は双方共に良いラストだと感じた。静かな狂気か、暴発した狂気かという違いになるのだが、それぞれに全く別の魅力があるのだから。特に映画のラストは「危険な欲求」と「社会的な良心」との折り合いを描くのには効果的ではなかっただろうか。ただ、映像には暴発した狂気の方が向いていたのではないだろうかとは思うが。
役者は、イアン・マッケランが非常に良かった。特にトッドにドイツ軍服を着せられて無理矢理行進練習をさせられるシーンで豹変する迫力は、素晴らしい。
一方のブラッド・レンフロは、綺麗だとは思ったが、演技は堅さを感じさせて真に迫った印象は受けなかった。
所でこの映画、ナチスを描きながらゲイ・ムービー的な香りも強く感じる。教育カウンセラー、浮浪者、そして二人の主人公。原作にも終始付きまとう香りなのだが、より明確に色濃く提示された感触だった。ナチスがホモセクシャルを弾圧した事を考えると矛盾した設定の様に感じられるかも知れないが、この映画における「ナチス」とは人間の隠された欲望を描く為の象徴に過ぎないと考えれば、ある程度の納得は行く。ゲイを隠された欲求と言ってしまうのには抵抗が有るが、ラストシーンから言ってもこういう解釈が妥当ではないだろうか。
邦題の「ゴールデンボーイ」は邦訳された小説の時に既に同じタイトルだったのだが、描いている狂気に対して、特殊化され過ぎた、軽すぎるタイトルでは無いだろうか。
原題の「Apt Pupil」は、「利口な(優秀な)生徒」という意味。それは勿論、ドゥサンダーの影響を受けてその生き方や考え方を身に付けてしまうトッドを表現しているのだろう。こちらは実に良いタイトルだと思う。
個人的に期待していた映画だけに、物足りなかったが、原作を知らなければそこそこ楽しめるのではないだろうか。また、サービス・カットだらけなので、ブラッド・レンフロのファンは必見かも。