Cinema Review

CURE

監督:黒沢清
出演:役所広司萩原聖人うじきつよし洞口依子

奇妙な符合を持った殺人事件が連発、そこに記憶喪失の男が現れる。事件の容疑者として逮捕するが…。

どうしようもなく、自分の体に合う表現をしてくれる映画だった。
非常に個人的なレベルで好きなのかもしれない。
これだけ引きずり込まれる感覚を味わえる映画も珍しい。

画面の中での人物の配置、カメラ位置、フィルムの質感、バックグラウンドノイズを積極的に効果音として取り込んでいる様、テーマの持つメタさ加減。ジャンル映画的なストーリーテリングな構成と、初期の黒沢清が抱えていたヨーロッパ映画的な冷めた破綻を内包した距離感の融合の具合、そんな中でほんの一瞬顔を覗かせる叙情性。
そういった要素が私には、決して浮揚しない冷たい心地よさを与えてくれた。

所で、評判の芳しく無いラスト附近だが、これは破綻した表現に見えるだけで、観客の導く答えは(ある程度の幅を持ちつつ)一つの焦点を見定めていると思うのだが?見終わった時に、何がしかの居心地の悪さを感じなかったか?それこそが、監督の意図した効果では無いのか?
あのラストは、計算され尽くした上での、徹底的な省略であり、語る事の放棄では無いと私は考える。

この作品について、監督(作った人)が見え過ぎるのは、事実。ただ、私はそれを悪い要素とは考えない。
逆に、私は作った人がまるで見えないものには魅力を感じないのだから。
その上、この作品は見ている自分自身をも強烈に感じさせる。
答えやテーマが自分に返って来る作品は、見る側に積極的な理解力を要する。
娯楽作品としては付き合いにくい部分を抱えているのだろうが、こういう映画が有っても良いでは無いか。
映画表現の答えは一つではないのだから。
(この映画はギリギリ娯楽映画だと思うけど。)

この作品が、意図的に「カルト」を目指した作品であったとしても、私は『CURE』という作品そのものを支持する。

Report: Jun Mita (1999.06.22)


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