加賀まりこ20歳の肢体が画面いっぱいにあふれる佳作。
ユカは美しい。ユカは明るい。ユカは誰とでも寝る。そしてユカは純粋だ。
パパのくれた部屋に住み、恋人と燈台の下で寝る。そして誰にもキスさせない。ユカは純粋なのだ。
恋人をなくし、パパを殺しても、それでもユカは純粋だ。
この映画は加賀まりこなしには成立しない、加賀まりこでしか成立しない映画かもしれない。それは非常に大切なことだと思う。それはたぶん、その時そういう作品に出会えるかどうか、誰にも判らないからだろう。
彼女の口はとがっている。彼女の声は作り物のようで嘘っぽい。でも彼女が話すたび、その口の動きに目がいってしまう。メイクのせいなのかも知れないが、彼女の目は大きく、シーンごとにくるくる動く。それを追うように表情もまたくるくる変わる。その顔は、ある時とても上品で、ある時非常な痴呆にうつる。彼女のあごの線はとても美しい。細くて小さなあごの線と、それになめらかにつながる首の線がきれいだ。脱いだ肩の細さと背中のしなやかさは、動くたびに消えてしまい、すぐにまたあらわれる。ちょっとくやしいのだが彼女がスクリーンに現れると目がどうしても釘付けになる。遊ばれているようだ。
ユカはそうした女だったんだなという、奇妙な説得力と納得感。
恥ずかしながらちゃんと邦画を見ていないせいで、中平監督の名前は知らない。この頃の映画は最近でも特撮映画を除いてほとんど見ていない。そのせいかこの作品の中で散見される実験映画的なシーンや構成については今一つしっくり来ない。非常に上品な描写、例えば言葉づかいも違和感として感じられる。(『黒い十人の女』はその点で同じうえ、ストーリーが遥かに非現実的なのに、より強いリアリティを感じる。何故だ?)
そういうわけで今一つ入り込めなかったし、作品との距離感はかなり強く残った。しかしこれが中平監督の狙いなのかもしれない。ユカという非現実的な女を描くのに、現実的な背景は合わないだろう。現実感のある女優はもちろん駄目だが、ただの美人でも駄目だ。加賀まりこは確かにうまくはまっている。
オープニングもありがちなつくりだが、よく出来ておりしらけることなく楽しめる。このありがちだが一度はやってみたかったコトを、中平監督は加賀まりこという女優でチャレンジしたんじゃないだろうか。
映画そのものはにっかつ作品で、他に彼女がどういう作品に出ていたのか見ていないが、それにしても気前良く脱いでくれている。実のことを言うと脚はいまひとつ気に入らなかったのだが、これもあと1,2本見たらきっと気に入ると思う。ちょっと変な話だが、そういう気がするのだから正直に書くより仕方がない。やはり奇妙な説得力。
僕は『松岡きっこの誘惑』で、松岡きっこはこの先加賀まりこのようになってもらっては困ると書いた。鰐淵晴子も最近『濱マイク』シリーズで見たが、ちょっとまずい。やはり理想は五十嵐淳子か。ユカの母親役をやっていた北林谷栄はストレートに歳をとっていて、ある意味すごい。アッパレと言うべきか。負けるな加賀まりこ。