アイドルタレントとして人気上昇中の主人公が、女優への転身を決意する。しかしその日から彼女の周辺で不可解な事件が起きはじめ、そして事件は徐々にエスカレートする。いったい誰が犯人なのか?
今敏監督、初の作品である。そしてそれはアニメーションによる初の本格サイコサスペンス(キャッチコピー曰く)となった。その評価はしかし分かれるところだろうと思う。
この作品はアニメーションの表現力が、その映像美や音楽との同期などに代表される技術的側面以外においても非常に高いことの一つの証だと思う。非常に日常的な状況を、非常に単純化した上で丁寧に描き、現実感を持たせることに成功している。もちろんアイドルタレントと熱狂的なファン、芸能界という特殊な世界、映像、ネットなど、現実と虚構の境界線にあるものたちを描いているからこそ持たせられた現実感だとは思うが。
そのなかで登場人物それぞれにストーリーをうまくなぞらせている。アニメーション的な特殊な表現もほとんど使わず、普段アニメーションを見ないものにとっても分かりやすい作りになっている。しかし逆にまた何故アニメーションで作ったのか、ということがひっかかりもする。つまりこの作品はほとんどそのまま実写で製作することも可能に思える。アニメーションである必然性が感じられないのだ。
デフォルメされた描写や特殊なカメラアングルなど、実写でありながらアニメーション的な手法を駆使したという意味で、この作品と『ラブ&ポップ』は対極の立場にあると考えることができる。『ラブ&ポップ』においてアニメーションで描けなかった部分は恐らくラスト近くの部分、つまり浅野忠信の存在感だけではなかったかと思える。(この点では『パーフェクト・ブルー』でも同じで、サイコパスの男の描写があまりうまくない。こうした部分ではむしろ実写の方がデフォルメされた迫力がある。)
『ラブ&ポップ』では、俳優はかなり特化したキャラクターだけが登場していた。庵野監督はそれを単に偏向の強い登場人物であるとして出しているが、それ抜きには全編の構図が成り立たないほど、この偏りは重要だ。ほとんど全てのものが異常に作為的に配置されていたのは、原作のつくりのせいでもあろうが確信犯的演出家である庵野秀明による脚色でもあろう。この極端なキャラクターの特化だけでも、『ラブ&ポップ』は非常にアニメーション的な構造をしていると言えるだろう。
そして、庵野監督が実写で製作した必然性がやはり見つからない。製作コスト的な部分にしか必然性がなさそうに思える。その点でも『パーフェクト・ブルー』とは対極の位置にある。そして対極にいながら、両者は非常に近い。
結局この『パーフェクト・ブルー』は、そうした境界的作品なのだと思う。こうした作品を座りのいいものに仕上げるのは非常に難しい。『ラブ&ポップ』は原作の良さとキャスティングの成功が大きくフォローしたと僕は思っている。この作品も脚本は悪くないと思うのだが、あともうひと押し、何かが欲しい。残念だ。