Comic Review

童夢

作者:大友 克洋

巨大団地で発生した、連続不審死事件。その謎を追う刑事たちと、老人、子供、シャーマン。過密な現代社会に潜む不安を描き出した長編。

巨大な団地に暮らす等質な住人たちの群れの中では、小数の特異な人物がより強調されて映る。どの窓を見ても全部同じに見えるコンクリートジャングルの中で起きた変死事件も、そのコントラストと不気味さにおいて同じだ。そして善良な存在であるべきボケ老人(原作ママ)が超能力を駆使して恐るべき殺人を犯す。なんという構図。

久しぶりに読み返してみた。やはり良い漫画だと思う。「大友克洋を読むなら『童夢』」と自信を持って薦めることが出来そうだ。

この作品が出た時、非常に多くの分野から高い評価を得たように思う。SF 大賞まで取った。(ここはしかし純SF小説以外に大賞を出すことが比較的普通なんだけど)
そしてまた、その余りに映像的な表現に多くの映像作家がショックを受けたのではないだろうか。

初めてこの作品を読んだ時、僕もまた、漫画やアニメーション、映画などによる映像的な表現に対して強い興味を持つ高校生の一人だった。この作品の、まるで映画のようなストーリーと、全然漫画チックじゃないキャラクターの絵柄、それを包む執拗なまでの静的描き込みと、鋭くその一瞬を切りとったような動的表現。それらの組合せに衝撃を受けた。映画ですらここまで出来やしないんじゃないかと思った。

映像的な表現に対して少しでも興味のある人なら、恐らくは作品の幾つかのシーンについて、何度も何度も頭の中の仮想的な空間に再現してみたと思う。イメージされるそのシーンの美しさは言葉にできない。直観的に「映像化して欲しい」「映像化したい」と思ってしまう。
ところがこの作品はいまだに映像化されていない。スケールとして大き過ぎ、2 時間と言う枠に収めることが困難に過ぎると容易に想像される『アキラ』がアニメーションとして映像化され、多く激賞されたのに、なぜこの作品の映像化を誰もトライしないのだろうか。作者が許さないのだろうか?もしそうでないとしたら、、

僕なりに少し想像してみた。
童夢』は、あれほど密度の高い内容であるにも拘らず、読み返してみると僅か2時間ほどで読めてしまう。もっと速く読めてしまう人も居るだろう。つまりそのまま全編何も削らずに映画化できてしまいそうなのだ。勿論漫画で読む時は 0.5 秒ほどで読み進むロングショットのひとコマでも、映画では 5 秒以上に見せたい時もあるだろうから、読み進む速度のままに映像化できるとは思っていない。が、それにしても『風の谷のナウシカ』や、それこそ『アキラ』のように、絶対無理だとは思えない程度のコンパクトさなのだ。
そしてそれぞれのコマの流れがまったく映画の絵コンテのようにスムーズにつながれている。いやはや、ほとんどそのまま絵コンテに使えそうなくらいだ。ダイナミックなシーンなど、そのまま映像化する以外方法は無さそうなくらい計算されたカット割りだ。

そう、この作品を映像化すると言うことは、すなわち大友克洋の描いた漫画の中割りをすることと同義なのではないだろうか?
もしそうだとしたら、これは映像作家として全くやりがいの無い題材なんじゃないだろうか。ただのアニメーターがやるのならば、単に自分の技術の見せ場として最高の舞台となるかも知れないが、映像作家にとってはどうだろうか。一時期の庵野秀明なら喜んでやったかも知れない「仕事」だが、、、(実際彼はアニメーターとしては突出した存在だったと思う。)

それがこの作品が映像化されない理由なのでは、と考えてしまう。つまり『童夢』の映像化は、やるとしたら大友克洋以外いない、と。そういうことではないだろうか。

Report: Yutaka Yasuda (1998.06.17)


[ Search ]