田舎町の牧師の家庭の兄が大学から戻ってきて、教職を得て再び町を出ていくまでの日々を描く。父はマス釣りがうまかった。明るいが時に破滅的な行動をする弟は新聞記者になった。そして釣りがうまくなった。兄も再び釣り竿を握る。川は昔と変わらず流れ続ける。
素晴らしい。見てすぐに後悔した。劇場で見逃したことを、だ。これはビデオで見てはいけない。美しい。川も、森も、魚も、人も、流れるフライも、光に透けて流れるラインも、何もかも美しい。そして劇中でそう評されるように、ブラッド・ピットも実に美しい。
公開当時、ブラッド・ピットが、ロバート・レッドフォードの若い頃に余りにも良く似ていると評判になった。確かに恐いくらい似ている。ロバート・レッドフォードの若い頃というと、『明日に向かって撃て』『スティング』が思い浮かぶが、その僕の記憶の中のロバート・レッドフォードの姿が、思い出せば思い出すほどブラッド・ピットに似てくる始末だ。
二人の何が似ていると言って、顔もそうだが、二人ともに姿勢がいい。肩がピっと開いて、背筋が伸びている。そして笑顔。この二つが彼らにイノセントな印象を与えている。このイノセントさと、その上の美しさが、全編を貫く骨格になっている。
弟は陽気だが少しナイーブで、時に火のような激情を発する。バクチに手を出し、借金を作り、酒場ではニラまれている。インディアンの女性と付きあい、派手に踊り、泥酔してトラ箱入りを繰り返すが、決してただ愚かな訳ではない。
兄は常に冷静だが自分に確たる自信がない。秀才として、エリートコースに乗っているが、やり切れない自分とも常に乗り合わせていて、心と行動の自由な弟がうらやましい。弟の無軌道なところをいさめようともするが、どうすることもできないし、そんな自分が情けない。
父は牧師で厳格だが二人の息子には変わりない愛情を注ぎ続けた。教会の説教にも立ち続けている。マス釣りの名人であり、息子たちにも釣りを教えた。マス釣りの腕を、次男に追い越されたことが嬉しい。自分が衰えていっていることへの自覚も少し悲しい。
さまざまなことがあって、三人の男は別々の生活をするようになるが、いつも川はそこに流れ続けている。
僕にも兄がおり、父と三人で子どもの頃良く釣りに行った。3月の京都北山の渓流でやるアマゴ釣りだ。雪が降りしきる中、腰まで雪にはまり込みながら一歩一歩進む。30 分かけてたどり着いたポイントで 3 分釣ってまた 30 分進む。厳しい自然の中で釣れる魚は宝石のように美しい。
僕は中学高校と進むにつれ、父と折り合いが悪くなった。今も良くない。釣りもしなくなった。ただ大学生になると、単車に乗って、昔良く釣った川にしょっちゅう行って魚を眺めたりしていた。やがて、やめていた沢釣りを時折やるようになった。働き始めて何年か経ち、十何年ぶりに、再び父と沢に行った。沢で話すことは余りないが、川はそこに、あの頃のように流れていた。
A River Runs Through It. だから僕はこの映画が好きになった。