男が彼女と結婚して一年目になるその日に、彼女は自身のミトコンドリアに殺されてしまった。しかし男は脳死状態の彼女の肝臓から細胞を取り出して培養を始める。
原作は瀬名秀明という新人作家で、彼のデビュー作が同名の『パラサイト・イヴ』である。彼はこれでホラー小説大賞を取った。当時大学院生だったのではなかったか。今では助手になったと思う。僕は生化学者が書いた生化学関連の話題を下敷きにしたホラー小説と聞き、興味をもって原作を読んだ。前半がホラー的であるのに対して、後半が安直とも取れるエンタテイメントになっていて、そこだけ少し残念だったが概ね面白かった。特に前半の現実感のある書き込みようが僕は好きだった。このごろ生化学関係の本をちょろちょろ読んでいたからかも知れない。
その映画化だと言うので僕は喜んで見に行った。
しかし、しかし、しかし。この作品は原作とは違って、なんだかラブストーリー的なのだ。僕が余り好きでない後半のドタバタはキャンセルされているが、しかし全体を通じて見られたホラー的な冷たさや現実感も失われている。この結果の良し悪しは人によってあるだろうし、もともと映画的な表現を多く使っていた原作をそのまま映像化するのは困難に過ぎたと言うこともあるだろう。そもそも原作は相当に枚数が多いから、短時間に詰め込むことはとても出来ないし。ただ僕はもっとドロドロした映像を期待していただけなのかも知れない。細胞培養の寒天培地のイメージが強かったからかな。
詰め込めないと言えば現作ではウェイトの大きかった移植される少女の、前回の移植が失敗した理由についてはバッサリ切られていた。中嶋朋子演じる助手のウェイトもぐぐっと小さくなっていた。そのせいで少女と助手が添えもの的になってしまったのが残念だった。
ところで僕は中嶋朋子が結構気に入っているのだ。『ふたり』を見て以来なのだが、しかしそれ以来中嶋朋子にぴぴぴっと来ることはなかなか無い。この作品でも「ぴ」ぐらいで終ってしまった。ちょっと残念。原作の、大柄で少しマニッシュなキャラクターに対して、彼女は華奢に過ぎるというイメージギャップもあるかも知れない。後半キャーキャー走り回るだけと言う役も問題だったか。次回出演作に期待しよう。
最後にこの話だけはしておきたい。事故死した妻から生体肝細胞を取り出して(つまり肝臓を取り出して細胞をバラバラにする)培養すると言う夫を、多くの書評や映画評がこれをマッド・サイエンティスト的としていた。この作品でもその様に表現されているところが散見される。
しかし僕は全然ここに違和感を感じないのだ。
例えば僕が人間のような生物の細胞を扱う研究をしていて、簡単に採取できる範囲の誰の細胞でも間に合うという実験であれば、単純に自分の細胞を使うだろう。次に適当に知り合いの細胞を試してみるに違い無い。自分の妻など二番目候補間違い無しだ。そうやって採取した妻の細胞を暫く手元で生かしておいて実験を続けることなどに、僕は何の不思議も感じない。
そうやって生きた細胞が手元に残っているときに妻が事故死でもしようものなら、その細胞に妻の名前のラベルを貼って、実験が済んでも捨てずに培養し続ける可能性はものすごく高い。僕の感覚ではそれは形見と何の違いもないのだ。突然の事故死というのに馴染みがないので判らないが、その時になったら原作の様に妻の体から腎臓摘出のタイミングに知り合いの医者を頼って幾つか臓器を取り出すように頼む事だってそれほど無さそうな話ではない。
こんな僕って、やっぱりマッドなんだろうか?僕は生化学関係と全く無縁なコンピュータ屋さんなので、このことに実感がない。実に良かった。。。。