交通事故をきっかけに、自らの破壊を通して得られる快感の闇に落ちて行く複数の男女を描く。
ああ、クローネンバーグ様、またやってしまったのですね。
多分僕が高校生の頃辺りに初めて『ブルード』を見て以来、僕はあなたの映画を幾つも見ました。大学を出てから少しした頃でしょうか、京都の弥生座の地下を借りて行われたクローネンバーグ大会で見た『ステレオ』等の初期作品を含めると、もうあなたの映画の殆どを見たように思います。『戦慄の絆』には、僕は自分が恐らく一生のクローネンバーグファンになってしまうのだろうなと思えるくらいの魅力がありました。
クローネンバーグ様、あなたは以前から評判のよかった作品の次には決まって趣味に走った作品を撮ってしまい、結局評価を下げてしまうのでしたね。『スキャナーズ』に続く『ヴィデオドローム』がそうでした。逆にその次が傑作『デッド・ゾーン』。
『M バタフライ』は僕には今一つでした。だから今度の『クラッシュ』には大きく期待したのです。再び傑作を!と思ったのです。
全編のうち80%がセックス・シーンという前振りも、その結果としての成人映画指定も「いやいや、クローネンバーグだから」と気にしていませんでした。僕にとって何より大切なクローネンバーグの、自身への墜落感覚が再び味わえれば、そう思ったのです。
しかし、ああ、またやってしまいましたね。クローネンバーグ様。また趣味に走ってしまいましたね。
さて、この作品を振り返ると。。。
もともとクローネンバーグはスピード狂らしい。『ラビッド』とほとんど同時期にカーレースを題材に『ファスト・カンパニー』という作品も撮ったらしいが、これは僕の唯一見ていないクローネンバーグ映画なので何とも言えない。本当ならこれと今回の『クラッシュ』を比較するのが妥当なのかもしれないのだが。(因みに『クラッシュ』のパンフレットにはこの作品の名前は『ファイヤーボール』となっている。『ファスト・カンパニー』の名前は『METAL KIDS』という10年も前の本に載っている。当時のクローネンバーグ作品は複数のタイトルを持っている場合があるからそのせいかなとも思う。誰か真相を知っていたら是非教えてください。)
しかし『クラッシュ』は少なくともスピード狂の為の映画ではない。ここで起きるのは正に「事故」なのだ。その崩れた車と、体に障害となる程の傷をおった男女が、互いに(車と人間が、である。男と女が、では無い)傷を合わせるように絡み合う。
彼等にとっては壊れた車が『戦慄の絆』などで見せた、「自らの半分」なのだろうか。壊れた車の傷口から、自分の体の傷から、それがドロドロと流れ出しているのだろうか。その二つを合わせることが快感なのだろうか。
僕の中にもしも僕の真実が生きているとしたら、それはどろどろと僕のカラダの中で渦巻いて、自ら付けた傷口からこぼれ出して行くに違い無い。
体を傷つけるシーンは『ビデオドローム』でも頻出した。ぱっくり開いたその傷口から、一体クローネンバーグには何が見えているのだろうか。
ああ、クローネンバーグ様、やっぱりまたやってしまったのですね。