Cinema Review

友だちのうちはどこ?

Also Known as:Where is Friend's Home?

監督:アッバス・キアロスタミ
出演:ババク・アハマッドプール、アハマッド・アハマッドプール


子どものころの友だちと今の友だちとどう違うと思いますか? ぼくはあなたとは大人になってから知りあったわけだけど、幼稚園や小学校のころ隣の席だった、もう二度と会うこともないかもしれない「友だち」とはどう違いますか? クラスがえで、転校で、進学で、別れてしまった友だちはあなたの中に今もいますか? その子とはどうやって友だちになりましたか?
『友だちのうちはどこ?』というイランの映画をみました。隣の席の子のノートをまちがってもって帰ってきてしまったアハマド君が主人公です。中近東っぽいリズムにのってアハマドは隣村へと駆けていくのですが、村じゅうが同じ名字なので、その子の家がどこにあるのかさっぱりわかりません。先生は今度ノートに宿題をやってこなかったら退学だと怒っていたので、アハマド君は一生懸命です。
親切なおじいさんが色々おしえてくれたりするのですが、とうとう陽が暮れてしまっても家はみつからず、アハマドは寂しくうちへ帰ります。結局その子のノートにも宿題をやって次の日学校へもっていく、ということで解決したんですけど。イランでは管理教育がゆきとどいてないみたいで、二人の生徒が同じ字で書いてても先生は気づかなかったし、ついでにいうとこの先生は生徒の住所とかそんなことは全然知らないみたいでした。
今、ぼく自身の小学校の頃の友だちをつよく思いだしています。その子とは一、二年生のときいつもいっしょにいました(二年生といえば担任の先生が歌好きで、朝と帰りと授業のはじまりごとに一曲何か歌わせた、という話は前にしましたね)。中学のときお父さんが亡くなって引っ越してしまい、あとは道で出会うこともありません。その子のことは、その時も今も何も知りません。好みとかそういうことは。でも好きだったし、からだがぼくの次に小さかったので授業中はいつもいっしょだったようにおぼえています。
ぼくは、自分自身にもそんな幸福な子供時代があったことを思いだして驚いています。ぼくの小学校二年生は毎日「コーコケコッコー夜があけた」ではじまり「きょうの日はさようなら」或いは「ムシデン(ドイツ民謡)」でおわりました。先生がぼくと友だち(そのときの、未来の)のためにそうした別れのうたを与えてくれたことは全く驚きです。
さっき言った映画の中で、道案内してくれたおじいさんが摘んで友だちのノートにはさませた花や、ぼくの先生が教えてくれた歌は、ぼくらの友だち関係をみまもる「愛」だったのだと(とうとつですが)大人のぼくは思うのです。「ムシデン」はこんなうたでした。

みははなれゆくとも
こころはひとつ
いつのひにかまたあいみん
さきくませわがとも

Khane-ye Doust Kodjast? (Where is the Friend's Home? Iran, 1987)

Report: 中山 貴弘 (1997.02.03)


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