エミリー・ブロンテ不朽の名作『Wuthering Heights』の映画化。
「今まで幾度か映画化されてきたが原作をここまで忠実に再現したのは初めてである」と言うのは監督の弁。だが「映画は原作を超える事ができない」というジンクスを見事なまでにまっとうしてしまった。原作が偉大であればあるほど、長編大作であればあるほど、映画化は難しく成功はまず無理といって間違いないということを身を持って証明してしまった作品と言えるのではないだろうか?
まずあれだけの小説を3時間弱に収めようとした事自体が問題だ。「キャサリンの死」までを描くのならば3時間で収めることも出来なくはないが全編を通して3時間弱というのはいくらなんでも無謀というか暴挙ではないか。案の定、深さや重み、厚みといったものが全く無かった。うすっぺらなあらすじを見せられている気分に過ぎなかった。エミリーブロンテ本人を登場させる必要がどこにあったのだろうという疑問、(しかもあのシンニードオコナーを使っている!)風景や音楽が美しければそれで良いのか!等々不満を数えればきりがない。ネリーの重要性も忘れてほしくなかったし、何といってもジュリエットビノシュの二役はちょっときつすぎるのではないかと思った。同一人物に見えて仕方がないのだ。せめて似通った別人にしてほしい。とにかく時間的空間が(小説とは違い)映画では表現しにくい。その上、キャサリンの霊などこの物語には幻想の世界というものが余りにも多すぎるのだ。実写にしてもらっては困る不都合な点も山ほどある。
やはり下手に映画化すべきではなかった。今まで何度もリメイクされてきて、一度も全編を通した作品が作られなかったのは、それだけ作るのが難しいとされていたからだ。それだけ撮るのが困難だとされてきた作品がそうやすやすと簡単に新米監督の手によって成功するとは思えない。結果はやはり予想通りだった。新米監督が文芸物に手を出すことほど危険な事はない。もっと軽いもので成功してから望めばちょっとは救いがあったかもしれないのに・・・と少々残念に思う。
原作の方が何十倍ものめり込めた。そして『嵐が丘』が不朽の名作、大恋愛ロマンだと言われる由縁がわかった。その後、ブロンテワールドに数週間どっぷりつかってしまった私である。