Cinema Review

シェルタリングスカイ

Also Known as:Sheltering Sky

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:ジョン・マルコビッチデブラ・ウィンガー

ベルナルド・ベルトルッチのオリエンタル三部作の一つ(+αごく私的なベルトルッチ観)

『暗殺のオペラ』や『ラストタンゴインパリ』『革命前夜』等いわゆる「オリエンタル三部作」と呼ばれる作品以前のベルナルドベルトルッチ監督作品を立て続けに見ていて驚く事は『ラストエンペラー』を境にして以前と以後の作品とでは映画の質もレベルも完全に違う点だ。『ラストエンペラー』以前の作品を見ているとストーリーテーリングから台詞まわし、カメラワークに至るまで至るところに工夫や細工が凝らされハッとさせられてしまうのだが、以降の作品になるとオリエンタルで絢爛豪華なる装飾的技巧だけが目立ってしまい、登場するキャラクター達の内面描写が非常に観念的でその凄さというものがかき消されているように思う。

この歴然たる違いを知ってしまうとアカデミー賞9部門に輝いた『ラストエンペラー』が奥深さも工夫もない駄作に思えてしまって仕方がない。質のいい歴史ドキュメントという感じではあるけれど、ただの一大スペクタクル映画としてしかなっていないような気がする。(実のところ、『ラストエンペラー』を始めて見た時、舞台装置と衣装、音楽のすばらしさは理解できたが私にはそれ以外の凄さというものが感じられなかった。後になって分かったのだが、その時はただ「アカデミー9部門受賞」というそれだけに踊らされていた気がする。・・・もっとも今となっては「アカデミー賞」自体の価値もそうとう怪しいと思っている私にとって、近年のアカデミー作品賞の選考のされ方を見ていると「人気投票」という感じで、もはやオスカーレースは「年に一度のお祭り騒ぎ」という感覚でしかないのだが・・・)

そしてそれは近作の『リトルブッタ』においても言える事だった。映画館を後にして「一体あれは何だったのだろう」と深く考え込んでしまう。言いたい事はあやふやながら理解できるが「だからどうした」と叫んでしまう。ブッタの生まれ変わりは白人と黒人と女の子だったという子供だましのご都合主義のラストのオチ(もっともオチではないのかもしれないが・・・)にも唖然とするだけでそこには何の感動もなく、何となく担がれている気すらしてしまった。監督の弁によると「子供心を持った人にしかわからない」シロモノらしいので「子供だまし」や「ご都合主義」と言っている私には一生理解できない作品なのかもしれないが。(もっとも、あの映画を理解できなかった私自身の問題かもしれない・・・)

ただそんな「オリエンタル三部作」ではあったものの『シェルタリングスカイ』だけは別格だった。夫が死んで泣き崩れる妻を見てひどく心を打たれ、離れていた夫婦がやっとここに来て愛を確かめあったのにそれはもう取り返しのつかない悲劇だった事に涙してしまった。

一面に広がる空(=この空はタイトルに『シェルタリングスカイ』とあるように二人を包み込むシェルターの役割を果たしている。「シェルター」という言葉はダブルミーニングにもなっていて、この映画の中に登場する建物をも意味している。)、延々と続く美しい砂丘が宇宙的空間を感じさせいっそう孤独を引き立てる。(身内もいなければそれこそ言葉も通じない空間に放り出されてた恐怖は『ハンドフルオブダスト』におけるトニーの心境にも通じるものがあるのではないだろうか?)あの永遠に続くDUNEに一人残される怖さは映画館のスクリーンでなければ味わえない大画面がなせる技だろう。サハラ砂漠にふと吸い込まれてしまいそうになる自分がそこにはいる。心は完全に映画館からモロッコへとワープしている。そして文明からかけ離れた世界で不便をものともせず奥地へつきすすんでゆく自分がそこにはいる。心が完全に映画(つまり、ヒロインであるデブラウィンガー)と一体化した証拠だ。

一人になる怖さや恐ろしさ。自分は一体どこにいるんだろうという不安。文明社会へ帰ることへの欲求が無くなった自分(夫が死んでしまってからというもの本人はもう何にも執着しなくなった)。ただそれでも何とか生きている、とりあえず誰かに依存して生きている---すっかり心は重圧感に耐え切れなくなりふらふらになった時、迎えがどこからともなくやって来た。そしていつの間にかあの「グランドホテル」の前に引き戻されていた。そこで、私は自分が一人のスペクテーターに過ぎなかった事を思い出す。ヒロインと自分が完全に分離し「映画を見ていたのだ」という事に気付かされる。「グランドホテル」は始発駅であり執着駅だった。安全という保証の元で私は美しいサハラ砂漠の中をさまよい苦しみそれを乗り越え、スリルと危険のぎりぎりの路線を旅していたのだ。

見終わった後、私はひどく疲れたが、その疲労感はけして倦怠や退屈からくるものではなく旅疲れだった。映画の楽しみは完全にその世界に入り込む事なのかもしれない。そんな映画に巡り会えた時はこのうえなく嬉しい。だから映画はやめられないのだと思う。その後、ビデオでもう一度『シェルタリングスカイ』を見てみたが印象はかなり違った。やはりこの手の映画は映画館で見なければその醍醐味というものは味わえない気がする。

「オリエンタル三部作」が完結し、イタリアの社会情勢がやっと安定したらしく本国で活動するらしいベルトルッチがこれからどういう方向性を持った作品を作り出すのかまだ分からないが、起死回生を狙った彼らしいハッとさせられる秀作を作りだしてほしいと切に願っている。しかし、その後『魅せられて』という軽いロストバージンものを作ってしまったベルトルッチに「あぁ、どうしちゃったの」とちょっと舌打ちしてしまった私。97年には再び『暗殺の森』が公開されるらしいので(東京だけかも?)とても楽しみだが、これからのベルトルッチにはさて期待が持てるのかという心配がなきにしもあらず。個人的には『ルナ』がおすすめなので良かったら観てください。(ベルトルッチ作品には「お約束」のダンスシーンが美しい。)

Report: Yuko Oshima (1997.01.11)


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