地方公演の為に住み慣れた都会を一時離れることにした三人のDrag Queen達。オーストラリアの砂漠を横断するべく買ってきた中古の大型バスを彼等はPRICCILAと名付けた。砂漠を何日間も疾走する、笑えて、ひょっとすると泣けるかも知れないロード・ムービー。ラスト・シーンはいきなり地球を半周してこれまた傑作。
素晴らしい。完璧な出来だ。今年最高の映画を見たのではないかと思う。惜しむらくはこれを衛星放送の録画で見てしまったことだ。京都のみなみ会館で初めて予告を見て、僕はこれは見るべきではないかと思っていたにも拘らず、結局ロードショーを見逃してしまったのだ。砂漠をバックに巨大な銀色のマントをなびかせて疾走する銀色の大型バスの屋根に立つ謎のゲイ・ダンサー。余りにもカッコ良いが、何も説明してくれないその予告編は、僕のあたまにぴぴぴぴっと信号を送ってくれたにも拘らず、僕はこれを見逃してしまったのだ。この作品こそは劇場で見るべきだったと、本当にそう思う。
素晴らしい。音も、色も、光も、影も、カッテイングも、動きも、もう何もかもが完璧だ。ただ出てくる役者が皆Drag Queen、即ちゲイだというのが怖い。
ドラッグ・クィーンというのが彼等の職業の呼び名だそうだ。流行歌のテープに口パクで合わせて踊るというショーをやるゲイの事を指す。コテコテの化粧をして、ド派手な衣装を着て、低い声、ミョーな言葉遣いと絵に描いたようなゲイ姿で舞台と言わず道路と言わず画面に露出してくるのである。もう、いくらバッチリのタイミングでスポットライトをスパッと浴びて、カメラアングルも絵としてのモノの配置も完璧に決まっていても、大映しになるその顔が怖い怖い。このギャップが何とも言えない。それがカッコ良いと言えば言えるが、しかしそれはうーん。。。
ただはっきり言えるのは、これで絵やカットの出来がちょっとでもまずければもう全く救えない、ただのドタバタ映画に落ちてしまうと言うことなのだ。つまりはその両者のバランスがこの映画を素晴らしいものにしていると言う事になる。
あ、余り本筋には関係ないが、使われる曲はABBA(最初のBは裏返しでなくてごめん)など、僕等にとっては懐かしいナンバーばかりだった。
僕は映画を映像、特に光と影と色彩だけで見ている傾向があるが、その目から見てこの作品は実に美しいと思う。荒涼としたまっ黄色の砂漠の中をアルミニウム剥き出しの銀色バスが砂を巻き上げて疾走する。車の長さの倍もあろうかと言う銀色のマントをなびかせながらその屋根に立つド派手な化粧をしたゲイ男。バックにはオペラが流れる。次のシーンでは朱色のマントに同じ色の発煙筒の煙幕と来た。「これでもか」という監督の声が聞こえてきそうだ。ああっ、振り切られそうっ。
これこれ、この振り切られそうな感じが僕は好きなのだ。僕を振り切ってくれそうな映画を僕は待ってる。『未来世紀ブラジル』『バロン』も良い。テリー・ギリアム監督はだから好きだけど、『12Monkeys』はいまいちだった。この『プリシラ』は振り切り度最高とは言えないけれど、結構良い線を行っている。少なくとも今年最も僕を振り切ってくれた映画だと言えそうだ。
この作品の途中で登場する年配の男(彼はDrag Queenではない)は「何年も世界を旅してきたが、生まれたところが一番だと気が付いた」と言う。Drag Queen達は自分達の居場所を捜して旅をする。僕は1年前に、生まれて29年間育った町を初めて離れた。僕にとって生まれたところが一番なのかどうかはまだ判らない。僕が走らせているバスの名前がプリシラ号である事を!