パトリス・ルコントは大体僕らが思い描くフランス映画、それも恋愛映画に対する幻想を裏切ることなく映画を撮ってくれる人だと思う。
美しい女性と、それに恋い焦がれる一人の男の物語。
ちょっとフェテッシュな香りがする、いわゆる大人の恋と愛について、である。
その物語りが悲劇であれ喜劇であれ、作品毎に描く映画の語り口を変えてみても、彼の画面から溢れ出る女性についての「思い」は抑えようも無い。
まるで思春期真っ只中の少年や、女性に対して内気なままに青年期を迎えた男性の思い描く、正にリビドーの具現化の様な「女性」を、ルコントは憧憬と羨望を持って、映画の中で「観察」を続ける。
きっとこういう人は映画という手段を用いなければ、その「思い」を絵画にしたかも知れないし、或いは小説として、或いは詩として表現したかも知れない。
でも言いたいことはただ一つ、と言う事だ。
さて、この作品は子供の頃から女性の理髪師が好きで好きで、将来の夢を両親に尋ねられても躊躇無く「髪結いの亭主になる。」と答えた子供が大きくなって美しい女房を娶り、後はその美しい妻の働く姿を眺めてはただぶらぶらと暮らすだけという、羨ましい日常を手に入れた男の物語である。
ここでもルコントは、男性のリビドーを具現化した様な「女性」に対して「観察」を続けながら、この観るという行為が如何に男性の資質を励起するかを、そして観られるという境遇がどんなに女性の精神と密接に関係しているかをひたすら描いている。
愛する人の心の中でのみ、永遠に美しいままの姿で生きる事を望んだ女が一体どの様な行動に走り、そして男はどう受け止めたのか?
人は美しい思い出だけでも生きて行けるのだ。