Cinema Review

TOY STORY

Also Known as:トイ・ストーリー

監督:ジョン・ラセッター
出演:トム・ハンクス
声:所ジョージ唐沢 寿明

カウボーイ人形のウッディーは持ち主の少年の一番のお気に入りだ。しかし新しく少年の家にやってきたロボット人形のバズに一番の座を奪われそうで気が気じゃない。

僕はこの作品のロードショーを見逃してしまった。不覚と言わざるを得ない。全くもって残念至極!たまらん。やむなく子供向きに松竹が同時に上映していた日本語吹き替え版を劇場で見た。台詞と口が合ってないのは残念だが何が何でもスクリーンで絵を確かめたかったのだ。

同じディズニーの『トロン』も世界で初めて大きくコンピュータグラフィックスを扱った映画で、これは歴史になったと言える。しかし全編CGでは無く実写とCGとが半々で出来ていた。映画、それも商業娯楽作品として成立させるためには実写の役者による演技が必要だったのだろう。しかしこの『トイ・ストーリー』は全編100%をCGで作り上げている。商業映画ではこれは世界で初めてだと思う。成し遂げたのはディズニーと、そしてPIXARだ。このPIXARの事についてはコンピュータ屋としては書かずに居られない事が山ほどあるのだが、それは後に回して最初に映画としてのレビューを書いとこう。
(因みに映画ではなくTV放映であれば100% CGの作品は幾つもあると思う。カブト虫やバッタが出てくる童話風の奴もあるが僕の大のお勧めは『Reboot』だ。こいつはクールだぜ。)

TRON』では登場人物がコンピュータの中を電子の住人となって走り回るというものだが、この作品のストーリーはもっと古典的だ。
少年の一番のお気に入りのオモチャ、カウボーイ人形のウッディーは新入りの宇宙飛行士人形バズ・ライトイヤーがやってきてから「一番のお気に入り」の座を奪われそうで気が気じゃない。バズが自分をオモチャじゃなく本物の宇宙飛行士だと信じているところも気に入らない。ちょっとした「手違い」でバズとウッディーは窓から外に落っこちてしまった。二人ははじめいがみ合っていたが、とにかく何とかして少年の家に戻らなくては!何しろ少年は明日引っ越してしまう。置いて行かれちゃ大変なのだ。
ところが頼りの相棒バズは途中で自分がただのオモチャに過ぎないことを自覚してショックを受けフニャフニャのやる気無しになってしまう。こんな事じゃ帰れないよ!どうするどうする?
そういう何と言うか典型的なストーリーなのだ。仲違いしていた二人が危機に際して力を合わせてそれを乗り越える。でも一人にはとてもショックなことがあって途中で気力を失いかける。もう一人はそれを慰め、力づけて二人は友情で結ばれ再び頑張るという感じだ。こりゃCGと全然関係無い。そこが『TRON』とえらい違いなのだ。ディズニーはこの作品ではコンピュータ自体を全く作品に取り込まなかった。
それに見ていて思うのは視点が常にオモチャの視点だという事だ。見ていてしっくりとオモチャと同化してしまえる感じがする。古典的とも言えるストーリーの流れに沿って、この一体感がこっちまで爽快な気持ちにさせてくれる。きっと作っていた連中も同じ気持ちだったんだろう。
ワクワクと爽快。最後にばっびゅーんと空を飛ぶからではない。ストーリーと作り手の気持ちと、そしてこの一体感がそうさせるんだと思う。エンタテイメント作品に必須の条件だと思う。

ところで途中で宇宙から来た正義の味方だと自分を信じていたバズが自分はバズ・ライトイヤーのオモチャに過ぎないことを初めて自覚し、ガックリ来てヤケになるところがあるのだが、これが面白い。ほんとはしんみりするべきシーンなのかも知れないが僕はバズがエプロンを着せられて酔っ払いのようになって「へっ」とか言ってる姿にミョーに受けてしまった。日本語版ではバズの声は所ジョージなのだが、この時初めてそれを思い出した。それまでは全然所ジョージらしくない堅い声だったのだ。声と言えばウッディーの声は唐沢寿明なのだが、これも早口で元気な役に合っていたと思う。

そうそう。日本語版で面白かったことと言えば所々に日本語版に合わせて作り直したと思われる所があるのだ。まずタイトル。当然オリジナル(?)は『Toy Story』だと思うのだが、日本語版ではそれが『トイ ストーリー』になっていた。途中で「電池は入っていません」という感じのシールかなにかも映るが、それもオリジナルは当然英語のはずだ。ひょっとしてオモチャも電池入りは日本製だというジョークで、オリジナルでは英語の字幕が入るなどと言うことをしているのかも知れないが、まさかそれは無いと思う。
完全にPIXARで作り変えたと思えるクオリティなので、恐らく各国語版を作って差し込んでいるのだと思う。この点だけは後から(データとシステムが残っている限り)幾らでも部分だけやり直せるCGの便利なところだ。

さあもうPIXARの話をしよう。PIXARは僕らコンピュータ関係の連中にとっては非常に有名な会社の一つだ。ルーカス・フィルムのコンピュータ部門として作られ、1986年に独立して出来た。この会社のオーナーであるスティーブン・ジョブスなのだが、この男が理由で僕らの中ではPIXARの名前は有名なものとなっている。勿論ジョブスと関係なく RenderMan の名前と共にPIXARを記憶している人も多いだろうが。

ジョブスは今となってはMacintoshで有名なApple社をガレージから興した男だ。彼ともう一人の創業者が作った8bitコンピュータAppleは瞬く間に世界中に売れた。つまりアメリカン・ドリームを成し遂げた一人である。みんなの手元に普通のコンピュータを届けた初めての男と言える。パソコンは出来て然るべきものだったのだが、それを形にしていち早く市場に出した先見性と彼自身が自分の周りに作り上げたカリスマ的な空気が彼を特異な人物として業界に立たせていた。今でも話題に事欠かない。
そのジョブスは後にApple社に自らヘッドハントして迎えた社長によって追い出されてしまった。そこで独立してすぐにNeXT Computer社を興したのだが、その頃にPIXAR社を買っている。その後ジョブスはPIXAR社に対して強く何かを指示する訳でもなく過ごしていたように思うが、NeXT社の方がうまく行かなくてもPIXARを手放したりはしなかった。PIXARはと言えばラセッターを含むスタッフが映画などのCGによる特殊効果演出などをやっていたようだ。
僕がしかしPIXARとラセッターを強く意識したのはSIGGRAPH(だったか?)に『ルクソー・ジュニア』が出された時だ。これはあちこちで賞を貰ったと憶えているが、技術一辺倒(技術芸術?)と言ってもよかったCGの世界に確かに新しい風を吹き込んだと思う。翌年だったと思うが同じくPIXARが出した『Tin Toy』(ブリキのオモチャ)はアカデミーだったか何だったかの賞を一杯獲得した。『ルクソー・ジュニア』『Tin Toy』辺りは一般のTVニュースなどで良く流れたから御記憶の人も多かろう。この頃のCG技術の先端をリアルタイムで眺め続けていた僕の記憶に強く残った。CG Osaka以外の会場でこんなの眺められるようになったのねと変なことに結構感動したりした。
これらの小作品を見たら判るのだが、つまりラセッターはCG技術を追いかけちゃいなかったのだ。『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』でステンドガラスの騎士をやったのもILM時代のラセッターのチームだ。この映画を僕はロードショーで見たのだが、騎士のCGも技術よりもシーンとしての美しさ、出来の良さに見入ってしまった。ラセッターはつまりそれがやりたかったのだ。ひたすら『TOY STORY』がやりたかったのだと思う。そしてジョブスはそれを可能にしたのだと思う。
フルCGの映画はいつかは誰かが作った筈だ。しかしそれはジョブスだった。ラセッターだった。そしてその事が僕にある種の感慨に近いものを抱かせる。人には「役」があるのだと思う。ジョブス。良い役じゃないか。僕の役は一体どんなのなんだろう。自分の役を見忘れてはいないか?

この作品の最初の方でウッディがみんなに演説するところがある。その後ろに映っていた本棚に並んでいる本のタイトルに『Tin Toy』と書かれた一冊があった。著者にラセッターとある。(劇場でとっさにこりゃ怪しいと思ってチェックしたのだ。)楽屋落ちで詰まらないという人も居るだろうけど、僕はそこにラセッターの想いを見たように思うのだ。長く温め続けてきたラセッターの想いがあの可愛らしいTin Toyのキャラクターに込められているんじゃないのか。それをこの作品にこっそりとしのばせたのだ。
因みに本編後のロールの最後に現れたPIXARのタイトルに今度はあの『ルクソー・ジュニア』が跳ねていた。今度は僕はPIXARのスタッフ全員の気持ちを見たような気がした。
でも、こりゃちょっとかつぎ過ぎだよねえ。

CGの出来の事、作品の事、技術のこと、ディズニーのこと、書きたいことはまだまだあるけれど今日はこの辺にしとこう。

Report: Yutaka Yasuda (1996.08.28)


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