パリのノトールダム大聖堂に閉じ込められた純粋だが醜い容姿の青年カジモド。寺院を抜け出したカジモドは美しいジプシー、エスメラルダに出会う。しかし、悪判事フロローの手が...
今年のディズニーアニメです。ヴィクトル・ユーゴの原作では悲劇らしいですが、ディズニーが悲劇を作るわけはなくハッピーエンドの作品です。
もちろん、すばらしいアニメーションです。ほんまにすごい! ディズニーのアニメはいつもいつもすごいんですけど、みなさん今回はマジですごいですよ。
上から街並を見下ろしたとき、下にはたくさん人がいるんですけどみんな動いてるんですよ。みんなが! 最初はスッゲーと思ってみてましたが、だんだんと気持ち悪くなるぐらいです。ほんまに精密な絵です。それともう一つ紙吹雪が舞うシーンが多くある(きっと技術的に簡単なんでしょう)んですが、これまたリアルですごいです。空をカメラが飛ぶような視点変化はすばらしいです。本物の風景の中でキャラクターが動き回っています。この絵だけでも一見の価値ありです。
と、ホメはこのぐらいにして。友達がラジオで聞いたと言ってましたが、いままでのディズニーアニメが子供向けだったのと違って、『ノートルダムの鐘』は大人向けのアニメだそうです。実際、パンフレットの解説の中でもそのようなことを言ってます。邦題では『ノートルダムの鐘』ですが、原題は "The Hunchback of Notre Dame" です。つまり、『ノートルダムのせむし男』です。
過去のディズニーアニメでは扱わなかったような難しい問題を扱っています。さらに、結局このせむし男のカジモドはエスメラルダとは結ばれません。エスメラルダは、過去のディズニーアニメでいうところの王子さま的な存在であるフィーバスと結ばれます。子供の純粋な心では、「カジモドじゃ、なんでダメなの?」という疑問がでてきます。実際、エスメラルダとフィーバスが結ばれて、カジモドも自由な心と友を手に入れてハッピーエンドだと思いましたが、どこか引っかかる部分があります。
要するに、ディズニーはお姫さまと王子さまなんです。『美女と野獣』も最終的には野獣は王子さまになります。ここがディズニーがディズニーであるところで、ディズニーが抱える矛盾でもあります。つまり、ディズニーのめざすところである(と勝手に僕が思ってるだけですが)「子供の純粋な心と夢をいつまでも」というのを考えると、「純粋で優しい心を持っていれば外見なんて関係ない」んですが、やっぱりそれだけじゃダメ(?)なんです。だって、「子供の純粋な心」では、野獣は野獣のままでいいし、エスメラルダはカジモドでいいのですから。王子さまなんていらないんです。
ディズニーは大変美しい映像を提供してくれました。これからもそうだと思います。けれども、そのためにやっぱり外見は大切なんです。この「美しい映像」と「純粋で優しい心」との矛盾が、「今回は大人向けのアニメなんです」という言葉を言わせたんだと思います。大人なら、「カジモドはエスメラルダの愛を手に入れることはできなかったけど、自由な心と友を手に入れられたからそれでいいじゃないか」と考えることができますから。けれども、僕はこうは考えたくはありません。ディズニーは子供の憧れであり、夢であり、純粋な心の象徴であって欲しいですから。。。
ディズニーさん、子供の「純粋で優しい心」を大切にして下さいね。そして、「美しい映像」も見せて下さいね。
# 確か次は SF ???