Cinema Review

青いパパイヤの香り

監督:トラン・アン・ユン
出演:トラン・ヌー・イェン・ケールー・マン・サングエン・アン・ホアトルオン・チー・ロック

'51年のサイゴン(現ホーチミン)。10歳になる娘ムイが田舎から奉公に出された。ムイは食事の世話や家事手伝いに明け暮れた。その家は何もせずただ楽器を楽しむだけの主、衣地屋を営み家系を支える母、嫁に煩くあたる祖母、社会人の長男と幼い弟という家族構成であった。ムイは家に遊びに来た長男の友人クェンに密かに恋心を抱く。10年後、長男は結婚し、ムイは暇を出され、クェンの家へ奉公に出される…。

'93。フランス・ベトナム映画。カンヌ映画祭カメラドール賞。セザール新人監督賞。フランス在住のベトナム系フランス人、トラン・アン・ユン監督のデビュー作。突然現れたベトナムの優れた若き才能に対し各国の批評家達は絶賛の声を惜しまなかった。この一作だけで、トラン・アン・ユン監督は世界で最も注目される監督の一人になったと言っても過言ではない。この少し後、王家衛(ウォン・カーウァイ)の『恋する惑星』が世間を騒がせ、プレスがアジアン・ヌーボーの時代が到来したと表現したのも、アジア出身の『青いパパイヤの香り』の鮮烈な登場の記憶あってのことだ。王家衛とトラン・アン・ユンは一躍アジアン・ヌーボーの双壁をなす存在となった。

全編フランスの屋内スタジオセットで撮影されたにも関わらず、照明、美術、小道具など細部までこだわりをみせ、幻想的に郷里の思い、ベトナムを描き切った。フランスでのスタジオロケは単なるバジェットの問題で、監督はせめて屋外ロケぐらいはベトナムで撮りたかったらしい。

トラン・アン・ユン監督は'62、ベトナムで生まれた。12歳の時に一家はベトナム戦争の戦火を逃れるためフランスに亡命した。フランスの映画学校で学び、'91年に短篇がクレルモン・フェラン映画祭で入賞。この作品でメジャーデビューする。主演女優のトラン・ヌー・イェン・ケーは古くからのつき合いで、公私共監督の良きパートナーである。

この映画やトラン・アン・ユンの映画はしばしばパリ発ベトナム映画と称される。フランスの映画学校で習い才能が開化しただけあって、確かにトラン・アン・ユンの表現はフランス映画の影響が色濃く残っている。というかまるで欧米人の目から見たベトナムを描いていると言ったほうがよいかもしれないぐらいである。考えてみれば、トラン・アン・ユンは人生の大半をしかも思春期をフランスで過ごしているわけだから、純粋に感覚がフランス人と言えるかもしれない。

アジアン・ヌーボーと呼ばれる監督達の特徴の一つとして、トラン・アン・ユンのように欧米に留学して、欧米の映画表現の手法を学んだアジア出身者が、郷里を現代的な、欧米的な表現スタイルで描くという要素がある。ようするに目そのものが欧米人の感覚に近いもしくはそのものである監督の作品を欧米人がアジアン・ヌーボーとよんでいるのである。だから、近年アジアン・ヌーボーの作品がヨーロッパで異常人気をよんでいるのかもしれない。今までローカライズされていて解釈しにくかったアジア映画が彼らの手によって身近に感じられるようになったからだろう(それまでのアジア映画は風土から、文化背景から展開が遅く、情緒的であるかもしくは特異に説明的でありすぎる場合が多く、さらに政治情勢からイデオロギーが偏った表現や修正が多かったのが特徴だったため自国以外では不評だった。)。また、国際情勢にイデオロギーの対立構造がほとんど消え失せたため、映画を構成するために必要な各国の複雑な背景は過去のものと化し、よりテーマや内容が普遍的に設定できるようになったのも突然アジアン・ヌーボーが生まれた一つの要因だろう。ローカライズされない(というかヨーロッパ人が解釈するのに都合の良いというか)表現が可能となった時代になったから突然アジア映画が面白くなったのである。

この傾向は正しいのか、将来的にアジア諸国にとって良い方向なのか僕には分からない。が、とりあえずこの流れは変わることがないだろうし、頭からどっぷりと西洋文化に使っている僕達日本人にもアジアン・ヌーボーの映画は従来のアジア映画よりも観易いし素直に感動できると思える。僕達に近い目で自国の急激な変化の真実をありのまま捉えようとしているから、僕はアジアン・ヌーボーの作品が好きであった。が、アジアン・ヌーボーが妙にヨーロッパで注目されている今となっては、変にヨーロッパマーケットを意識して自国の文化の表現を歪ませる結果になるのではないかという一点だけが心配所だ。単なるブームで終らなければいいのだけど…。

とりあえず、この映画に関して言えば子役がむちゃくちゃ可愛いのとセットが凝りまくっている点だけでも十分評価される価値がある。変にドラマティックな展開にせず映像だけを追った叙情詩として仕上げたのが勝因とだ思う。

Report: Akira Maruyama (1996.08.15)


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