Cinema Review

天使の涙

Also Known as:Falling Angel、堕落天使

監督:ウォン・カーウァイ
出演:レオン・ライ、ミシェル・リー、金城武チャーリー・ヤンカレン・モク

'95。香港。物騒な自分には似合う職業とうそぶく殺し屋(レオン・ライ)と感情を持ち込まないパートナーがベストと考えているエージェント(ミッシェル・リー)。エージェントは密かに殺し屋に恋心を抱いているが、現実を知って醒めないために距離を置く。仕事のやりとりはFAXで、報酬のやりとりはコインロッカー。パートナーとなって155週間、会話を交わしたことはない。彼の部屋に残った匂いとゴミから彼の行動を想像することだけがエージェントの恋の全てだ。しかし、彼らのそんな生活ももう長くは続かないとお互い直感している。エージェントのアジト、重慶マンションの管理人の息子モウ(金城武:武の広東語読み)は聾唖故に仕事も友達もできない。だから深夜店舗に無断侵入して強引に店の商品の売りつけたりサービスを押売する。人とのつながりを持ちたくて、それが許されない彼の唯一の社会と接する方法だ。ある日モウは友人金髪アレンに彼氏を寝とられたと電話でわめいている失恋女(チャーリー・ヤン)に出会い、生まれて始めて恋に落ちる。が、彼女は分かれた恋人ジョニーのことが忘れられない。激しい雨の夜、殺し屋はマクドナルドで金髪の女(カレン・モク)と出会う。彼女の強引な誘いに戸惑いながらも、彼女と関係を持つようになる。金髪の女はかつて殺し屋が一晩寝た女だったが殺し屋の記憶には残っていない。彼女は自分の姿が彼の記憶に残るように金髪に染めたのだった。殺伐とした稼業に疲れた殺し屋は現在の稼業の足を洗う決意をし、エージェントにジュークボックスの曲でその旨を伝える。エージェントは彼の姿を追うが、殺し屋は彼女を避ける。ある日、地下鉄の通路で金髪女とすれ違ったエージェントは彼女から殺し屋のつけているオーディコロンの匂いを感じ、彼女に声をかける。殺し屋に会ってくれるように伝えてくれと。パートナーを組んで155週間後、殺し屋とエージェントは始めて会話を交わした。そして殺し屋は最期の依頼を引き受ける…香港の雑踏の中で何回もすれ違いながら出会う男女5人の物語。広角レンズによって極端に切りとられた映像と、極際色の色彩と、ウォン・カーウァイ(王家衛)の音楽センスが光る香港ニューウェーブの再新作。

東京は関西より先に公開したので、皆より先に観させていただきました。もちろん結論は、この映画は絶対に買い。もうすぐ関西でも朝日会舘で公開するみたいだから、観に行ってね。

この映画はあまり前もって情報を仕入れない方が素直に楽しめる。このレビューも映画を観終った後で読んだ方がよいかもね。僕は予告編を何回も見たがむちゃくちゃクールでかっこ良い予告編だったので、すごく期待してしまった。結論からいうとあの予告編はあまりにもいいカットばかり集めすぎちゃってよくない。もちろん、予告編を一つの作品にするなら、最近の予告編の中でも一番かっこいい予告編なんだけど。予告編の雰囲気を持ったまま本編を見るともしかしたらカタスカシに会うかも。

前作『恋する惑星』の批評で僕は王家衛をベタ褒めしたわけだが、そのレビューの中でも言っていた通り『恋する惑星』はストーリは日本のトレンディ・ドラマそのもののようなソフィスティケィトされた恋愛ものであった。僕はそもそもストーリはあまり気にしないので、そんな理由で王家衛をダサいと拒絶するよりも、彼の映画表現の持つ新しい時代の到達を感じさせる力を最大限に評価したのだった。確かに『恋する惑星』はトレンディ・ドラマ的な要素が強く、ひと昔前の日本のトレンディ・ドラマのように都会的な洒落た恋愛スタイルへの純粋な憧れが全面に見えるので、トレンディ・ドラマにあきあきしている日本人の目から見るとその憧れが少々バタ臭くて田舎臭く感じるのも仕方がない。が、それは現在の香港映画界の状況を考えると一考の余地があって、すでに資本が中国に全面的に移行しつつあるので、規制の強い中国社会から金を引き出すためにもあまり表向き過激なストーリの前衛的な映画は作りにくいという状況がある。だから、王家衛自体がそういうソフィスティケィトされた筋が好きなんじゃなくて(もちろん嫌いではないだろうけど)、社会状況が『恋する惑星』をトレンディ・ドラマっぽく軟弱に仕上げたんだと思っている。

前作『恋する惑星』が世界中に爆発的なブームを巻き起こしたおかげで、少しは王家衛の自由に作品を作れるような状況になった。それでも始めにタイトルを投資家に伝える時、表向き過激な内容に見えないように『堕落天使』(『天使の涙』の原題)というタイトルにしたぐらいだし(本人もインタビューで述べていたけど、このタイトルは結果的には成功していると思う)、娯楽映画に徹した作りにしていることからも日本映画のようなマイナーな作り方をこれからも彼はしないと思う。僕個人としては、これはすごく正しい映画の撮り方だと思っている。やはり映画を作る行為は観客を意識しなければいけないし、どれだけメジャーを意識して馬鹿みたいにトレンディ・ドラマ的な娯楽映画になっても、一般受けしないマイナーな映画よりはよっぽどいいと思う。だから、『恋する惑星』も手放しで褒めたし、この『天使の涙』も少々トレンディ・ドラマっぽい作りだけど、そんなことはどうでもいい。この映画は僕を興奮させるに十分ないい映画だ。ようはバランスの問題である。トレンディ・ドラマ的な要素があるだけで完全否定してはいけない。それはメジャーでの表現を完全否定したも同然だ。ようはバランスの問題である。配給されなければどれだけ表現力のある芸術映画だろうが意味はない。ようはバランスの問題である。現在の日本映画はそのちょうどいいバランスをもった作品が少な過ぎるのが問題なのである。決して表現が悪いわけではない。ようはバランスの問題である。

で、本題の『天使の涙』だけど、すごくいい映画だ。広角レンズによって極端にねじ曲がった世界やコマ落しによって生まれるスピード感。雑踏を表現する仕掛け。編集、構成。どれを取っても非のうち所のない映像だ。個人的には数カット短く切って編集した方がクールでストーリが流れたかなと思った箇所があったが、そんなアラみたいな不満しか残らないぐらい完璧に近い。

最近、僕は何故これほどまでに王家衛が好きなのか理由が分かった。キーワードは村上春樹である。王家衛は村上春樹の影響を強く受けている。村上春樹は僕達の世代の人間では読んだことがない人などほとんどいないだろうと思えるほどの人気作家だ。どんなに本を読まない人間でも『ノルウェイの森』ぐらいは読んだことがあるはずだ。僕の大好きな作家でもある。台詞回しにもそれはすごく良く現れていて、絶対的な物理基準を村上春樹のパロディとしてよく使う。「そのとき距離は0.1cm…155週間のパートナー…1分間の恋人…」…。なんで始めて『恋する惑星』を見た時あんなに興奮したのか。王家衛の表現する世界は村上春樹の描く世界とすごく似ているんだ。だから、僕は彼が表現する世界がむちゃくちゃ好きなんだ。

今年の夏休みの海外旅行の人気スポットは一位は当然ハワイだが、二位がなんと返還前の香港なんだそうだ。映画にも出てくる九龍にある居酒屋「五味鳥」の主人斉藤さんにとってもっとも日本人の観光客が増える一年になるであろう。

Report: Akira Maruyama (1996.07.14)


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